すべて愛しき民の為に





しらみ始めた空の中、まだ朝陽も充分には指し込んで来ない時間。
ひゅう、と時たま吹く風が少し肌寒くて、身を縮めた。
目的地はまだ建て直しの途中で、枠の外れた小さな窓からろうそくの光が漏れている。
そのまま歩いていき、ドアノブに手をかける。
開け放ったドアの中からは、懐かしい香りと温かさ、
そして到着に気づいた他の仲間が出迎えてくれる、少しばかり荒っぽい声が溢れ出す。
それらに包まれて、なんだかくすぐったい感情にとらわれた。
「遅くなって悪い悪い、すぐ取りかかるからさ」
飛んできた遅刻の叱責を受けながら、ジタンは思わず口元を綻ばせ、こう思った。
ああ、家に帰ってきたみたいだな、と。




すべて愛しき民の為に




「あらダガー、おはよう!」
眠りから覚め、階下へと降りてきたダガーに、エーコから元気な挨拶がかけられる。
妙にもごもごとした声だったが、どうやら宿屋から出された朝食を食べながらだったらしく、フライヤに行儀が悪いぞ、と叱られていた。
エーコの隣に座っているビビも反応したが、こちらも口にものを含んだ状態で、慌ててそれを飲み込んだ。
「おねえちゃ、おはよ…!ごほっ、ごほっ!」
「あらあら、ビビったらだめじゃないの!」
「よい朝じゃな。おはよう、ダガー」
むせたビビの背中をエーコがさする様子を見守りながら、フライヤもダガーに声をかける。
おはよう、と声では返せなくなってしまったダガーは、手を軽く振った。
自分も朝食の席に着き、ゆっくりと口を動かし、三人に問う。
(ほ か の み ん な は ?)
クジャの元へと行く前にしっかりとした休息と準備をしていこう、ということで、数日ここにとどまることになっていた。
今日は一日だけの自由な休日なので、皆思い思いの場所へ行っているのだろう。
「スタイナーのおじちゃんは『朝の鍛錬であります!』って外に行ったよ」
「クイナはこの街の食材を見に行くんですって〜」
「サラマンダーも鍛錬であろう。ジタンはアジトの方へ向ったようじゃぞ」
ビビの可愛らしいスタイナーの声真似に微笑みつつ、口々に返される返事に頷いていく。
「アジトって?」
リンドブルムに来たことのないエーコが、興味を持ったようにフライヤに聞き返していた。
「ジタンの家、と言うべきじゃろうな。家族同然の者達が住んでおる」
「あたしにとってモリスンやモグ達と住んでたマダイン・サリと一緒ね。
 ジタンの家かぁ…行ってみたいなぁ〜〜」
「今は行ってはいかん」
思わずぽわんとしたエーコに、慌ててフライヤが釘を刺す。当然、エーコがむくれた。
「どうして?」
「まだ家を建て直している途中なのじゃ。瓦礫が多く危ないから近づいてはいかんとあやつも言っておった」
「うぅ…、そんなの平気なのに…。ジタンが言うんじゃしょうがないかぁ…」
好きなジタンの言うことを裏切ることはできなかったか、言い聞かせると何とか引きさがる。
ダガーにはフライヤがホッとしているのが分かった。
「そうそう、ジタンから『ここに滞在している間復興を手伝いたい』と言われておる。
 ここにとどまる間にしておくはずの準備は手伝えないとのことじゃ」
「えぇー」
そこで思い出したのだろう、フライヤがそう口にすると、今度は不服そうな声。
まぁまぁ、とダガーはエーコの頭を撫でる。フライヤは苦笑していた。
「悪いと謝っておったぞ。私ももっと責めるべきだったのじゃろうが、あやつもリンドブルムの出じゃ。
無下に断るのも忍びなくてな、そのまま送り出してしまったのじゃよ」
「もうジタンったら…準備なんてとってもめんどくさいのに。逃げたのかしら」
「そんなこと言っちゃだめだよ、エーコ。謝ってたって言ってたじゃない。
しょうがないよ、ジタンにとってここは大事な場所なんだから」
「まぁ文句は出発前に、めいっぱい言ってやるがよいさ。何ならジタンにお願いでもすればよかろう」
ぶつぶつと文句を言うエーコを今度はビビがなだめる。
続くフライヤの言葉に、何かジタンへの願いを思いついたのか、ぱっと顔を輝かせ
「まぁ、それならいいわ」
と返して終わった。
急な態度の変わりようにビビは首を傾げていたが、くるくると表情を変えるエーコをダガーは微笑ましく思っていた。
「でもあたしだって今日は買い物に行ってやるんだから!ビビ、あんたもついてくるのよっ!」
「え、ええっ。ボク?」
「これこれ。買い物なら私が付き合うぞ」
「ホントに?」
「もちろんじゃ。荷物持ちだってするぞ」
「じゃあお願いする、ありがとう」
ぐっと拳を握り力強く宣言した後、当然のごとくビビを誘おうとしたエーコを、やんわりとフライヤがフォローする。
リンドブルムはブラネが主導した黒魔道士の襲撃により破壊された街でもある。
直接の関係はなくとも、黒魔道士の姿をしているビビを町中に出せば、恨みつらみを抱えた民を刺激し、攻撃されることもあるだろう。
民とビビの双方に対する影響を考えても、あまりビビをうろつかせるわけにはいかなかった。
そもそも街へ入る際も、体をすっぽりと覆う大きなローブを着せ、とんがり帽子も変えたほどだ。
他の仲間とともに飛空艇を使って別の場所へ待機させ、準備が終わり次第飛空艇で迎えに来させることも考えたが、効率を考えると出来なかった。
「ビビはダガーとこちらにいるか?」
「う、うん。そうする…。ありがとう、フライヤお姉ちゃん」
「え?ダガーは買い物しないの?あまり部屋にこもってるのも毒だと思うわ」
また、ダガーにとっても今のリンドブルムを歩くのは傷をえぐるようなものだった。
エーコの気遣いに答えられないことに若干の胸の痛みを覚えつつも、ダガーは首を横に振る。
「そっか…。じゃああたしが二人も楽しくなるようなお土産を買ってくるから、楽しみにしてるのよ!」
「ありがとう、エーコ」
(あ り が と う)
「うむ。エーコはいい子じゃな」
「ふふん。でももたもたしている時間はないわ、早く食べて買い物に出かけるのよっ」
「そうじゃな」
何とか丸く納まり、あとは和やかな雰囲気が朝食の風景に流れていた。

「ねぇ、見て、見て!これ!!」
日も傾き、そろそろ夕日のオレンジにわずかに漆黒が混じる頃、興奮した面持ちでエーコが騒がしく帰ってきた。
「ど、どうしたの?」
「これよ、これ!」
ダガーと一緒にモーグリと遊んでいたビビが、その雰囲気に気圧されながら聞くと、エーコはさらに手足をばたばたさせていた。
そのままビビに向かって突きつけた手には、一枚の紙が握られている。
「明日広場で何か催し物をやるようじゃぞ」
ビビとダガーが揃って覗きこんだ紙の内容を、後からやってきたフライヤが反復する。
「“もよおしもの”って何だろう…」
「わかんないけど、きっと何か楽しいことに違いないわ!」
「そっかぁ…。そうだよね、楽しそうだなぁ」
ビビの問いに根拠もなくぴょんぴょんと跳ねながら言葉を返すエーコ。
こういう街での催し物に全く縁の無かったエーコにとっては、ただ楽しみで仕方ないようだ。
その空気が伝染したか、ビビも何だかうきうきとしている。
(何で何をやるのかを書かないのかしら…)
「明日のお楽しみ、というところなのじゃろうな」
ダガーが首を傾げながら考えていると、それを読んだかのように荷物を下ろしたフライヤが答えた。
「しかし、明日は一日中荷物整理。お主らに抜けてしまわれると困る。
荷物整理が落ち着けば見に行けるじゃろうが、昼前ではそれも難しそうじゃな…」
「ええーーーっ!?」
「そんなぁーーっ」
続くフライヤの言葉に、エーコだけでなくビビまでもが絶望の声をあげていた。
「ちょっとぐらいいいじゃないのっ、それで準備をさぼるなんてことしないわ!」
「そ、そうだよお姉ちゃん…」
「そうしてあげたいが…。催し物に人が集まれば、それだけビビが人目につく可能性も高くなるしな…」
「うぅ…」
「そんなの大丈夫よ!」
フライヤの言葉にビビが詰まるが、エーコはまだ反論していた。
せっかくの楽しみを見つけたのに、それを取り上げられるとなれば、それも当然ではある。
ダガーも(だめなの?)と聞いてみるが、それでもフライヤは首を縦に振らない。
仕舞いには落ち込んでしまった二人を見ると、ダガーは可哀相でしょうがなかった。
「すまないな…。明日、好きなものを途中で買ってくるぞ」
「そんなのいいもん!フライヤのけちんぼ!ジタンが帰ってきたらジタンに聞くから!」
せめて慰めようと思ったのか、フライヤが頭を撫でようとしたが、がばっと顔をあげたエーコはその手を払いのけた。
半ば涙目になりながら、「行くわよ!」とビビの手を取り、走って外へ行こうとする。
しかしビビのことに気付いたか、フライヤが置いた買い物による荷物を持ち、そのまま別の部屋へと走って行った。
ダガーは今の二人をほっておくことができず、フライヤに見向きもしないで追いかけた。
後には、複雑そうな表情でため息を漏らすフライヤが、ひとりぽつんと部屋に残されただけだった。


その夜。
「ねぇ、ジタンは?」
ぶうっと頬を大きく膨らませ、エーコが呟く。
「遅いねぇ…」
ふわぁ…と大きなあくびをしているビビは眠そうだ。
二人とも“催し物”を見るため、ジタンを待っていた。
(帰ってくるまでずっと待っていることに関しては、ビビはエーコに流された感もあるが)
あの後フライヤ以外にも聞いてみたのだが、結果はすべて“ダメ”。
それどころか、行かないように念押しまでされてしまった。
エーコは大いに膨れたが、ダガーがこっそり連れて行ってあげると約束したことを二人は喜んでいた。
しかし、「もしバレたら連れ戻されるんじゃ?」とふとビビが言ったことに新たな懸念が沸いてしまう。
さすがにそこまでしないのでは、とダガーは思ったものの、二人は念には念を押すことにしたらしい。
まぁそれはなくとも、ダガーもビビを人に見つからないような、それでいて広場をきちんと見渡せる場所へ連れて行く自信はなかった。
そこで、リンドブルムをよく知っていて、いざとなれば皆をごまかせそうなジタンにも頼むことにしたという訳だが。
いくら待っていても、肝心の本人が帰ってくる気配がまるでなかった。
ちなみに他の四人は明日早くから準備をすることもあり、とっくに寝ている。
ダガーも二人に付き合っていたが、さすがに彼女自身も限界が近付いている。
待っている三人が冷えないようにとクイナが寝る前にホットミルクをくれたが、それも余計に眠気を煽っていた。
「エーコ、もう寝ようよぉ…。明日早く起きれば、きっとジタンにも会えるよぉ…」
「うぅ〜…」
ビビの訴えにも珍しく揺れている様子を見せた。彼女も相当眠いのだろう。
すると、宿屋の戸が静かに開いた。エーコもビビも瞬時に反応するが、
「…お前ら、何をしている」
「あう。なんだ、サラマンダーかぁ…」
「…帰ってきただけで肩を落とされるとは、心外だな」
「ごめんね。ボクたち、ジタンを待ってるんだ」
サラマンダーが現れ、三人そろって毛布にくるまっている姿を怪訝な目で見るだけだった。
(サ ラ マ ン ダ ー 、 ど こ へ 行 っ て い た の ?)
「それを聞いてどうする。……それより、あいつなら今日は戻ってこないぞ」
「「ええーーー!?」」
ダガーの問いにも憮然とした表情を崩さないままだったが、ジタンに関して教えてくれる。
だがそのせいでビビとエーコが眠気も吹き飛ぶ大声を出し、サラマンダーの眉間に皺を刻ませた。
宿屋は仲間達の貸し切りとなっているからよいが、主人を起こしやしないかとダガーはひとりハラハラしていた。
「どうしてっ?!どうして戻ってこないの!」
サラマンダーに掴みかかって(と言っても足にしがみついているだけである)エーコが憤慨する。
ダガーはエーコの行動に文字通り身を引き、イライラしている様子のサラマンダーも心配になってきたが、
捕まっているのが面倒なだけのようで、蔑ろにする様子もなかった。
「…いいからその口を閉じろ…。向こうの作業が長引きそうだから、今日は戻れないと伝えてくれと…。くそ、何で俺が…」
「そんなぁ…。せっかく待ってたのに…」
「ジタンのバカぁ…」
ますます眉間に皺を刻みながら、「これだから関わるのは嫌だったんだ」とサラマンダーが文句を言っていた。
そんなサラマンダーの様子も目に入らないのか、いよいよもってがっくりと肩を落とす二人。ダガーは慌てて二人の頭を慰めるように撫でる。
眠いのを我慢してまで待った努力が水の泡となり、意気消沈したのだろう。
(それでもダガーが許可している以上、催し物を見に行く希望が潰えた訳ではないのだが)
「…ふん。それより明日準備もあるのだろう、さっさと寝ろ」
「はぁい…」
「お姉ちゃん、ありがとね、ずっと一緒に待っててくれて…」
(い い え 、 気 に し な い で)
「サラマンダーのおじちゃんもありがとね。ほら、エーコも」
「…えぇ、そうね。…ありがとう」
「…ふん」
ぶっきらぼうに言い放たれたサラマンダーの言葉にも、反抗することなくそのまま寝室へと向かう。
二重の意味で沈む二人が歩くのを支えながら、ダガーはサラマンダーに向き直る。
(ジ タ ン は だ い じょ う ぶ な の ?)
「………。俺が会ったときにはぴんぴんしていた。
 第一、そんなことで倒れるようなやわな奴に俺は負けないはずだ。
 明後日の早朝出発も変わらない。準備ができなくて悪いが、それまでには必ず戻ると言っていた」
まだ聞くのか、と嫌そうな顔を一瞬されたが、それでも答えてくれるあたりサラマンダーは親切なのかもしれない。
本人に言ったら間違いなく呆れられそうな考えを頭の隅に浮かべながら、そう、とダガーが頷くと、小さな声で「もういいのか」と聞いてくる。
ダガーの腕に支えられている二人は落胆からか、それとも襲ってきた眠気からか、サラマンダーの言葉にも首を突っ込むことはなかった。
(い い み た い 。あ り が と う)
「……ふん」
ダガーの礼を込めた会釈にまた鼻だけを鳴らして、サラマンダーはゆっくりと自分の寝室へと向かった。
(さぁ、も う ね ま しょ う ね)
サラマンダーの背中が見えた瞬間に、ダガーも目の前の寝室を見据え、中へと入って行った。


「姫様やビビ殿、エーコ殿にも申し訳ないのでありますが、頑張って下され」
翌日、重い武器を軽々と運ぶスタイナーの申し訳なさそうな声を受けながら、三人は荷物の整理をしていた。
武具は各々のもので手入れの仕方がまったく違うので、それは個人に任せることにし、自分の分だけを点検する。
ポーションなどの回復道具も、人数分の道具袋に需要を考えて分け、補充していく。
宿屋の一室である、お世辞にも広いとは言えない部屋の中で、ベッドの上にまで乱雑に物を広げながら、ただ整理をする。
「…はぁ、“もよおしもの”って何なのかなぁ。楽しみだねぇ」
手を動かしつつも、落ち着かないのか時計をちらちらと見て、うきうきとビビが呟く。
「そうねぇ。…でも油断はできないわ、誰にも見つからずに行かなくちゃいけないんだから」
整理に飽きて、ベッドの上でぐたーっとだらしなく伸ばしていた体を起き上がらせるエーコ。
自分たち以外の人間は、すっかり催し物を見に行く上での敵と認識されてしまったようだ。
「でもどうして今日なのかなぁ。昨日だったら皆で見に行けたのにねぇ」
「そうねぇ…。でも今日やろうと昨日やろうと関係ないわ。どうせあたし達は見に行くんだから!」
「もし見つかったら…フライヤお姉ちゃん、怒るかなぁ。あんなに行くなって言われてたのに」
「そんなこと気にしてたら出かけられないわ!」
外に出るには変装をしなくてはいけないことを差し引いてもなのか、それとも忘れているだけなのかは分からないが、ビビも興味は尽きない。
それだけに見つかった時の反応が怖いようだった。
落ち着かない二人を見つめていただけのダガーも、思わず手を止めて考え込んでしまう。
二人ともまだ十にも満たない幼い子供だ。遊びたい盛りであり、甘えたい盛りでもある。
それをこんな狭い場に閉じ込め、ただひたすらに準備のための作業をさせることがどれほどの苦行であることか。
それをフライヤもわかっているはずなのに、どうして頑なに釘を刺したのか。
また、子供が苦手なサラマンダーはともかく、スタイナーやクイナはそれに反対はしなかったのか。
ビビを思えば、と言われればそれまでだが、それにしては厳しすぎる気がする。
明後日早朝出発ということを踏まえた準備にしても、非効率なのはむしろ…
「それでダガー?いつ頃出ればいいのかしら。これには昼前に始まるって書いてあるし、あまりもたもたしてもいられないと思うの」
そんな思考は、エーコが真面目な顔つきでチラシをダガーの前に出したことで中断させられた。
フライヤ、スタイナー、クイナ、サラマンダーの四人はそれぞれ準備に追われている。
先程スタイナーが来たばかりなので、次に誰かが来る前に出かける時間はあると思えた。
「あっ!なんかぽんぽんって音がするよ」
「ホント!?」
そうね、そろそろかしらとダガーが示す前に、興奮したビビの声が聞こえた。
確かに広場から何か破裂音の様なものが聞こえる。
よく聞けばざわざわとした人の声や歩く音も大きくなってるように思えた。
「もしかしたらもう始まっちゃうかも!?考えてられないわ、急ぎましょ!」
「も、もう行くの!?」
「今行かないでいつ行くのよ!迷ってたら見逃しちゃうわ!」
「わっ、ちょっと待ってエーコ、ぼうし、帽子がぁ〜〜」
そうなるや否や、エーコが走り、階段を駆け降りる音が聞こえた。
その間にがんと何か当たる音がしたのは、ビビがぶつかってしまったのか…
あまりの勢いに少しの間あっけにとられていたが、慌ててダガーも下へと降りた。

宿屋の前は、もうみっしりと言うほど道が埋まり、広場へ向って人が歩いていた。
エーコと外に出る間にビビに気付いた人はおらず、また仲間の姿も今は見えなかった。
とりあえず一安心、と息をつく。
ビビにローブを手渡しながら、ダガーは二人が人並みに埋もれないかはらはらし、ただそれに気を配る。
「げき?もよおしものじゃなくって?」
「その催し物の内容が劇なのさ、お嬢ちゃん。大公様のお計らいで、今日は特別だそうだ」
「でもチラシには何も書いてなかったわ。どうしてわかるの?」
「はっはっは、なんたってここはリンドブルムだ。ここに住んでるやつはだいたい予測はついてたと思うぞ」
人混みにまぎれていると、いつの間にかエーコは隣を歩く住民と話している。
家族なのだろう、その隣には子供と奥さんらしき人がいる。
ビビは正体がばれないとも限らないので、万が一を回避するため、
ダガーはここでは口を読みにくいため、喋るのはそのまますべてエーコに任せることにした。
「劇かぁ…一体何をやるのかしら」
「それはさすがにみんな分からないみたいだな。でもタンタラスがやるんだろうし、質の高さは保証できるぜ」
「?タンタラスって…?」
なるほど、タンタラスなら確かに催し物をするにもふさわしいだろう、とダガーは話を聞きつつ思う。
アレクサンドリアで途中までではあるが劇を見ていたビビも頷いている。
ただ一人、耳慣れない言葉を聞いたエーコだけが首を傾げていた。
「タンタラス知らないのかい?
 バクーさんを頭にした劇団でな、あそこの劇は質がいいんだよ。
 ザルヴィックスは壊滅したらしいし、他の劇団は大公様が計らった場で演じる力はないし、間違いないだろう。
さらに聞いたところによると、今回の主役はジタンだって話だぞ」
(!)
「えっ?」
「じ、ジタンですって!?」
いきなり知っている単語が出てきたせいか、エーコは大きな声を出して住民を驚かせていた。
ダガーもビビも同様に、驚愕に目を開く。どうしてジタンが?と。
「知ってるのか?
…タンタラス知らないでジタンを知ってるってのはよくわからんが…まぁいいや。
あいつは演技の良さではマーカスに敵わんが、それでもいい俳優だ。
 ジタンを知ってるならわかるだろうが、なかなかの色男だし、人気もかなりあるんだよな」
親切にも解説を続けていてくれているが、三人にはほとんど聞こえてなかった。
(ジタンが…どういうことなんだろう…)
(わ か ら な い わ。で も、こ の ま ま ひ ろ ば へ は い け な い し…)
小声で話し合う(ダガーは声を出してはいないが)ものの、今は推測ですら満足にできない。
とりあえずこのまま広場まで出るのは心配なので、ダガーは話を切ろうとエーコの袖を軽く引っ張った。
「なぁにダガー?…あぁ、そっか。ごめんね、あたし達このまま屋根の上に行くから」
「おっ、いいポイントでも知ってるんだな?
しかし屋根でも混むだろうから、さっさと行かないと埋まっちまうぞ」
「えぇ、だから行くわ。いろいろ教えてくれてありがとう」
「なぁに、教えたうちに入らんさー」
ひとまずは礼を言って住民を見送り、屋根の上へ行くことにする。
一旦人の波から離れると、三人は口々に思い思いのことを言い始める。
「ジタン…劇に出るなんて…」
「酷いわ!勝手に劇に参加しちゃうなんて!しかも、復興を手伝うなんて嘘までついて!」
屋根への道を歩きながら、困惑するビビの横で、エーコは体を目一杯動かし、ぷりぷりと怒っていた。
ダガーもよくわからず、ただ疑問符を浮かべる。
「一緒に嘘ついてたフライヤ達だってあたし達に内緒でジタンの劇をこっそり見に行くつもりなんだわ!」
「さ、サラマンダーのおじちゃんとかスタイナーのおじちゃんは興味あるのかなぁ‥」
「そんなこと今は関係ないわ!あたし達にウソついてたってのが一番の問題なのよ!」
道中、怒るエーコと戸惑うビビ。多分、どちらの言い分も正しいとダガーは感じていた。
だからこそわからない。
「あたし達に内緒にするぐらいだもの、何かがとにかくすごいものなんでしょーねっ」
「うぅ…高いなぁ…」
「そこには文句言わない!」
屋根の上を器用に歩きながら、とにかくぷりぷりと怒るエーコ。
イライラしすぎて高いところを怖がるビビにまで当たり始め、ダガーはそれをやんわりと制し、ビビを支える。
「あ、ありがとう、おねえちゃん」
何にしろ、今は考えてもきっとわからない。
とりあえず劇だけを楽しむことにしましょう、と二人をなだめ、進むことにする。

高所恐怖症な故にすぐ足をすくませるビビを連れて行くことも、ひと苦労だった。
人が少なく、それでいて高く、さらに舞台が遠いのは嫌と駄々をこねるエーコの要望に答えるのも大変だった。
舞台よりも舞台裏の方がよく見えるような場所しかなかったが、兎にも角にも何とか場所を確保する。
先程のぽんぽんと空に響いた軽い破裂音は、どうやら開場のしるしだったらしい。
「う〜〜ん………。…あっ!いたわよジタン!」
ビビは震えてダガーとエーコの腕にしがみついてる状態なので、エーコが舞台の方を見る。
彼女が指差した方向にダガーも顔を向けると、舞台裏の方で確かに見慣れた金髪が見えた。
(礼装…?)
首を捻る。
今のジタンは貴族が身につけるような――ダガーには見慣れたものだ――礼装を着ている。
服も、尻尾を隠しているマントも真っ白で、太陽の光が注ぐ今は眩しいほどだ。
よく見ると、装飾の類はすべて金色で、こちらも負けじと光を反射している。
「…………。
なんだか今のジタン、すっごくカッコいいわ…」
「…そ、そうだね、似合ってるね…」
先程までの怒りはどこに行ったか、吐息を漏らすエーコの隣で、ビビも落ち着いてきたのか、たどたどしいながらも同意を返していた。
実際、ダガーから見てもその衣装はジタンにとてもよく似合っていた。
元々の顔立ちの良さもあって、劇の衣装ではなく、本当の貴族のように見える。
「王子さまみたいだわ…」
「あ、始まるみたいだよ」
エーコがうっとりしている間に、舞台裏からバクーが出てきた。
民衆のざわめきが収まるのを待って、語りだす。

「お集まりのみなさま!
今日はかの国の王子が、絶望から平和を取り戻す物語であります。
時間の許す限り見て行ってくださいませ」
短めな開幕の言葉の後、バクーが貴族風の礼を返す。
同時に口笛も混じった大きな歓声と拍手が沸く。
それにつられてか、エーコも怖がっていたビビも大きく拍手をし、ダガーも小さく拍手をした。
「あ、ジタンが出る」
それを言ったのは、エーコかビビか。それすらも確認出来なかった。
彼が舞台に出てきた瞬間、さっきとは違う歓声がそれをかき消してしまったからだ。
「な、何よ?」
きゃーと耳に響く、女性の甲高い奇声。
黄色い悲鳴を一身に受けたジタンは、一瞬わずかに震えたように見えたが、歓声にウィンクと手を振って返していた。
歓声がもう一段大きくなり、三人ともその奇声の意味を理解する。
どうやら、先程の住民が言っていた「人気のある」という言葉は本当の様だ。
「…す、すごいなぁ…」
「ふんだ、ジタンったら。後であたしもダガーも見てたわよって言ってやるんだから」
歓声が小さくなった頃合いを図って、ジタンはその場で一回転。
もう一度民衆を見たときの目には、怖いほどの真剣な色が宿る。
それが、開幕の合図だった。







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