セレニアの地にて其に涙を捧ぐ














ユリアシティのティアの部屋。
そのベッドの上で、ふっとルークは目を覚ました。
「・・・・・。」
暗くて周りがよく見えない。とりあえず、まだ真夜中だ。
意識が完全に覚醒してないせいで、考えも鈍くなっている。
何度か瞬きをして、目をこする。
するとルークは、このベッドの上で、足りないものがあることに気がついた。
「・・・・ティア!?」
がばっと体を起こして、周りを見やる。
その後に、もう一度ベッドの隣を見る。
今日眠りにつく前、確かにこの腕に抱いていたはずのぬくもりがない。
自分はまたへたれなことでも言って、彼女を失望させたか?
そんな不安がよぎる。
しかし、一瞬の後、それは杞憂となった。
窓から、セレニアの花に囲まれて、ヴァンの墓の前に立っている彼女が見えた。
ほっと安堵して、次に何で今そんなところにいるのか気になって。
ルークはベッドから降りて、立ち上がった。
体にかかっていたシーツが落ちて、ルークは初めて自分の格好に気がつく。
眠る前のことを思い出し、ちょっと頬を染める。
その考えをとりあえず今は追い払い、シーツを簡単に自分の体に巻きつけて、ルークはドアノブに手をかけた。



「リョ レィ クロア リョ ツェ レィ ヴァ ツェ レィ・・・。」
ドアを開けて初めて、ルークはティアが譜歌を歌っていたことに気がついた。
空気が震え、透き通った美しい声が響く。
旅の間も、幾度となく自分や仲間を助けてくれた歌。
「ヴァ ネゥ ヴァ レィ ヴァ ネゥ ヴァ ツェ レィ・・・。」
言葉としては成り立たない言葉なのに――いや、むしろそれだからなのか――、神秘的とすら思える音の並び。
無闇に足を突っ込めば、すぐに壊れてしまいそうな儚さと繊細さまで覚える。
「クロア リョ クロア ネゥ ツェ レィ クロア リョ ツェ レィ ヴァ・・・。」
音の羅列を邪魔したくなくて、ルークはドアを出たところで、目を閉じてそれに聞き惚れていた。
あの時はわからなかった、イオンが懐かしいといった気持ちが、今はわかる気がする。
ティアの譜歌を聞いていると、心が落ち着くというのか、それとも温まるとでも言えばいいのか。
はたまた、浄化されてゆくような感じというべきなのか。
この歌をありふれた言葉で表現し、それをなおかつ「懐かしい」という言葉に繋げることなど、決して出来はしない。
でもただ、何か懐かしい。
「レィ ヴァ ネゥ クロア トゥエ レィ レィ・・・・・・。」
そうこうしているうちに、歌が終わった。
若干の名残惜しさも感じるが、てっきりこちらに振り向くと思っていた彼女は、
何故かそのままうつむいてしまった。
「・・・相変わらず綺麗だな、ティア。」
それに若干の疑問を感じつつも、足元のセレニアに気をつけて、ルークはティアに歩み寄る。
「・・ルーク?」
「ん?もしかして、気がついてなかった?」
「え、えぇ・・・。」
薄いものしか羽織っていないティアを寒いんじゃないかと思い、
(シーツしか羽織っていない自分のことは棚に上げている)
ルークは歩み寄るついでに、自分の腕の中にティアを招き入れ、シーツで包み込む。
そうされてやっと、ティアはルークの方を向いた。
だがルークの予想とは反して、彼女は自分がそこにいたことに気がついていなかったらしい。
ティアにしては珍しいな、とルークは思った。
旅をしていた頃、ティアはあんなにも気配に敏感だったのに。
特に2人でいるとき、魔物の気配に気がつくのはどちらかというとティアが先で、それを情けなく思っていたのをまだ覚えている。
最も、ティアを守りたい、と思い始めてから徐々にルークの方が気がつきやすくはなっていたが、それでも。
まだルークの髪が長かったときは、エンゲーブで寝顔を見られた仕返しだと、
一度寝ているティアの顔を見てやろうと思ったら、2mまで近づいた時点で彼女は起き上がり、
ルークの首元にナイフを押し付けたのだ。
そんな彼女が、歌っていたとはいえ、今の今まで自分の存在に気がつかなかったとすると。
「・・・・師匠のこと、考えてたのか?」
ルークはぼそりと呟いただけだが、ティアはルークの腕の中で一度びくっ、と反応し、一呼吸置いた後、うなずいた。
「・・よく・・わかったわね。」
「ティアは昔から、師匠のことになると、すっごくわかりやすかったから。」
「・・・・・・そう。」
どこか寂しげな声でティアが言う。ルークは少しティアを抱きしめる力を強めた。
今のティアの様子を見て、彼女が消えてしまいそうな、そんな儚さを覚えたからだ。
「・・・どうした?」
「いえ・・・ただ、私は薄情者だな、と改めて思っただけよ。」
「?何でティアが薄情者なんだよ?」
そのままティアが沈黙して、何だか自分も不安になってきて、ルークは問うて見るものの、よく意味がわからない。
薄情者とは、ヴァンに対するティアのことなのか。
ルークは、そうは思わなかった。
「旅の間も、ずっと師匠のこと気にして、苦しんでたじゃないか。
 あんなに師匠のこと好きだったんだから、薄情者なんてことは・・、」
「違うの、ルーク。確かに旅の間は、そうだったけど・・。」
「???」
ますますルークは訳がわからなくなる。
ティアはルークの体を押して、自分とルークを引き離す。
名残惜しそうにするルークの方は向かず、ティアは、ヴァンの墓を撫でた。
「私、この歌をね・・・今まで一度も、兄さんのために歌えなかったの・・・・・。
 ううん、歌わなかった。
 旅の間はずっとみんなを守るためだとか、ローレライを解放するために歌った。
 それはまだいいの。
 ・・・そして、兄さんをエルドラントで倒して、もうこの歌も、あんまり意味がなくなった。
 でも歌ってたの。・・・教団の力が弱くなっても、預言を信じている人はたくさんいて、その人達に歌ったりもしたわ・・・。」
「・・・?」
消え入りそうな声だった。
ルークはもう一度ティアを抱きしめようかと思ったが、その前に疑問がまだ晴れない。
ティアがルークの方を向く。
「ルーク。あなたが帰って来てくれるまで、私、ずっとあなたのために歌ってた。
 『帰ってきて』って。あなたがこの歌を聴きつけて、私のところに帰ってきてくれるように、
 届いてくれますように、って思いながら歌ってた。
 あなたに会えないのが辛くて悲しくて、泣きながら歌った日もあったわ。
 でも、あなたは・・・優しい人だから、私が泣いたら、すぐに慰めに来てくれるんじゃないかって・・、
 そんな希望まで抱きながら、歌ってた。」
今にも泣きそうな、崩れた表情で(それでも綺麗だなとか思うのはやっぱり惚れたからなのか)、
ティアは心底苦しそうに言った。
大好きな兄を失ったことが苦しくなかったはずはない。
ただ、それ以上に大切な存在を失ったから。
だから彼女は、涙も歌もすべてその存在に、ルークに捧げたのだ。
客観的に見れば、決しておかしくはない。しかし。
「・・・私のこと、あんなに大切に育ててくれたのに・・・。
 いくら私の中でルークが一番になったって、
 あなたが帰ってくるまで一度も、兄さんの為だけに泣けなくて、歌えなくて・・・・、
 ・・・・・・・・・・・最低だわ・・・・・・・。」
責任感の強い彼女のことだ。
長い間彼女の中で一番だった人間がいなくなったのに、泣けないなんて。
それが悔しいのだろう。
うつむく彼女にどう声をかけたらいいのかわからず、ルークはがしがしと頭を掻く。
「・・・・それでも、」
不器用な頭で必死に考えながら、ルークは言葉を言いかけ、一度止める。
ティアがいまだうつむいたまま、しかし目はルークを見る。
こういうとき、ガイならさらっと何か気の利いたことが言えるだろうに。
ティアの目を見ながら、そう考える。
「・・・ティアのその気持ちが嬉しいって、思うのは・・俺も同罪かな・・。」
そんな言葉しか出なかった。ティアの頭上に?マークが浮かぶ。
「ティアも俺もさ。」
あちこちを掻きながら、ルークは言葉をつむぎ始める。
「自分の世界が、皆師匠で出来てたんだと思う。
 ティアはあの日俺と出会うまで、ずっとユリアシティにいたんだろ?
 親もいないから、師匠がずっと育ててくれて、
 師匠が外殻大地に行ってからも、お前に会いに来てくれてたんだろ?
 だから、ティアの世界っていったら、ユリアシティと師匠の2つしかなかったんだ。」
「え・・えぇ・・まぁ、そうだけど・・・。」
「俺もあの日、ティアと飛ばされるまで、俺の世界はバチカルのあの部屋と、ヴァン師匠だった。
 外に自分が出られないから、たくさん外のこと、俺、師匠に聞いてた。
 剣の修行だってしてくれてたし、いつも俺に親身だった。
 ・・・お前とは比べ物にならないだろうけど、俺も師匠のこと、大好きだったよ。
 俺の中で、師匠は一番だった。
 師匠さえいれば何にもいらないって思ったときもあった。」
セレニアの花に囲まれて、昔を懐かしむかのようにルークは言う。
振り返ってみれば、愚かだった時代。
けれど、あの時は本気だった。
「・・・でも俺、その大好きだった師匠を、エルドラントで倒した。
 漠然とした悲しみみたいなのは、そのときあったかもしれない。
 けれどそれも、すぐに消えちゃったんだよ。
 昔の俺だったら、もっと執着してたんだろうけどさ。」
「でもそれは当然だわ、だってあなたはローレライを・・、」
「違うんだよ、ティア。
 確かにゆっくり何かを考えるには時間がなかったけど、
 だからって何も考える時間がないってわけじゃなかった。
 その時にアッシュとかガイとかナタリアとか、皆のことも考えたよ。
 ・・けど一番はティアだったんだ。
 お前の声が、表情が忘れられなくて。生きたいって心から思った。
 俺、旅している間から、お前のことが好きで好きで好きでしょうがなくて、
 だけど俺は消えるから、俺がティアを縛るわけにはいかないってすっげぇ苦しんだ。
 昔の俺なら信じられないよ。恋なんてくそくらえみたいなものだったしな。
 そうでなくても師匠のことばっか考えてたのに・・・・・。
 だから、今の俺は、昔の俺をずいぶんと裏切ってるよ。
 あんなにお世話になったのに、今俺が師匠のことを考えるなんて、あんまりないから・・。」
そのままルークもうなだれて、しばらくの沈黙。ティアの心配そうな瞳。
結局何の慰めにもなってないみたいだ。ルークはため息を心の中でつく。
「・・・でも、兄さんを倒した後のあなたの声、泣いているような感じがしたわ。」
ゆっくりと、ティアが言葉を吐き出す。
「私は基本的に、誰かを悼むという気持ちが少ないみたい。
 軍人としての心のあり方を強く表に出しすぎていたんだわ。」
戦場では、悼むという行為をしている暇も隙もなかったから、と付け足す。
軍人として、その手を血で汚してきたティア。
同じ人殺しでも、ルークとは違う汚し方。
ルークの場合は利用されて、だが、ティアは自ら望んで軍人となったのだ。
ティアの口から、ため息と共に言葉が漏れる。
「・・・・さっきも、兄さんの為だけに強く思いをこめて歌ったはずなのに、
 その間に思い出もいっぱい巡ってきたのに、それでも泣けないのよ・・・。
 胸がふさがるような苦しさも、心に、こみ上げてくるものもあるのに。
 涙だけは出てこないのよ。」
そこでティアは一区切り置く。
――――ああ、やっぱり何だかんだ言っても、自分はまだ、ティアの中で2番のような気がする。
ルークは何故か、そこで奇妙な敗北感を覚えた。
「・・なんだかね、不思議な気分になるのよ。
 あのタタル渓谷で、この歌を歌い終わって、いきなりあなたが現れて。
 ・・・よっぽど嬉しかったのかしらね、それまではどれだけ泣いても歌っても、
 ちっともあなたが帰ってくる気配はなかったのに・・、
 今この歌を歌うと、何だか、兄さんまで帰ってきてくれるような錯覚に陥るのよ。
 泣き続けても歌い続けていたら、あなたは帰ってきた。
 前と同じ、優しいあなたのままで。
 だから、兄さんも、あの優しい姿で帰ってくるような気になっちゃって。
 そう思ったら、もう涙なんて出てこなくて・・・。」
一度、そこで言葉が切れる。
また自分はひとつ、罪を犯したな。ルークは思う。
「・・・馬鹿よね、帰ってくるはずなんてないのに・・。
 でもね、希望を抱いちゃうのよ。
 あなたのことも、どこか心の隅で、『もう死んだんだ』って思ってたのに、
 帰ってきてくれたから、だから、兄さんも・・ッ・・・。」
もう、ルークはその場で突っ立っているだけではいられなかった。
1、2歩であっという間にティアとの距離をゼロにする。
再び自らの腕の中に閉じ込めたティアは、小さく震えていて。
でも、その目元は濡れないままで。
「・・・・認め、られないんだな・・・。」
耳元で小さくルークが呟くと、ティアはためらうように少し間を空けた後、うなずいた。
それは認めたくもないだろう。大切な肉親が死んだなんて。
しかも、ほぼ自分が手にかけたようなもので。
憎んでいたわけじゃない。ただ、歩く道が違えてしまっただけで。
この人を、どう慰めたらいいのだろう。
亜麻色の髪を撫で付けながら、ルークは必死に考える。
下手に言葉だけをぽんぽんと出しても、彼女は傷つくだけのような気がする。
迷って迷って、結局いい言葉は出ず。
ルークは心の中でため息をつき、あまり言いたくはない、けれど、これしかないという言葉をつむぐことにした。
「・・・ティア、ティア。事実は、どうあっても変わらないよ。」
なだめるように名前を呼んで、そう告げる。
ルークの方を見た、思いっきり歪んだティアの表情に、ルークも表情を歪める。
どうか、もっともっと優しい言葉を。
「ヴァン師匠の事実も、・・・他に言えば、リグレットの事実も変わらないんだ。
 ティアはその目で2人の・・最期を見たんだろ?
 事実は決して変わらないよ・・。」
そんなのわかってる、とでも言いたげに、ティアはシーツをぎゅうっとつかむ。
「だから、ティア。そんな夢は忘れようよ。
 そんな希望、師匠だって望んでないよ。
 ティアは師匠のことが大好きだった。
 でも、師匠も負けないくらいティアのことが大好きだったよ。
 あの短い旅の中で、俺でもわかったんだから。
 今考えれば、剣の修行の時だって、師匠は時々ティアのことを言ってた気がするんだ。
 俺がこんなこと言うのは間違ってるかもしれないけど、
 きっと・・・じゃないよ。絶対。師匠はティアのこれからの幸せを祈ってる。
 だからってもう自分のことは忘れて欲しいとか、そんなことはないだろうけど・・・。
 あまり自分には捕らわれないで、ティアはティアの幸せな道を、自分で進めるように・・ってか・・。」
ああ、結局うまく言えない。
そりゃそうだ。あの時ヴァンがティアに対して何を考えていたかなんて、
本人じゃないルークがわかる訳がない。
けれど、それでも。
ルークは死ぬ前に自分が考えていたことの半分は、ヴァンにも同じように当たるのではと思った。
忘れないで、とまでは言わない。
けれど、完全に忘れて欲しくはない。
そして。
自分がこれから一緒に歩けない道ならば、
せめて、その道が幸せであるように。
ルークの場合は、「自分も一緒に歩きたい」という生への願望が確かにあったが、
ヴァンの場合はきっと純粋にこう思っただけだと思う。
と、ルークは考える。
けれど、なかなかそれを表す言葉が見つからず。
見つかっても冷たい言葉で。ルークはまた頭を抱えそうになって。
「・・・・・・・・・ティア、泣いて。」
結局、そんな言葉に終わった。
「素直に泣いていいんだよ。
 大切な兄が死んだ。旅は終わってる。強がる理由なんてどこにもないよ。
 師匠も・・変な希望を抱くより、そうしてティアが自分のために泣いてくれる方が、
 嬉しいんじゃないかって・・・・勝手だけど、俺は思うんだよ・・。」
しっかりしろ。支えるための言葉ぐらいはっきり言え。
自分を自分で叱咤しながら言うものの、やっぱり何か弱々しい。くそ。
自分自身に吐き気がするほど呆れながら、ティアを待つ。すると。
「・・・・・ばか。」
先程よりも震えた声で、ティアが言った。
やっぱり我慢してたのか。ルークは心の中で呟く。
「・・・ルーク、いつまでもそんな格好で、冷えたんじゃない?
 ・・服ぐらい、中で着てきたら?」
「いやだ、ここにいる。」
何の脈絡もない言葉から、ティアの気持ちの奥底を察知して、
いつかのときと同じ言葉で、ルークは同時に、もうちょっと強くティアを抱きしめた。
「・・・なぁ、ティア。まだ俺って、そんなに頼りない?」
ちょっとショックを受けたので聞いてみると、ティアは顔を横に振った。
「・・別に、そういうわけじゃ・・。」
「なら1人では泣かないで。
 俺、ここにいるんだから。
 もう今は『いつか消える』体じゃない。
 ちゃんとティアを抱きしめられる腕はここにある。
 どうしても涙を見せたくないなら、隠せる胸だってあるから。
 俺だって師匠のために泣けるよ。泣くための目もあるよ。
 だから・・・・・たった1人で泣かないでくれ・・・・・。」
「ば・・、かぁ・・・・。」
そのまま何か言うと思ったら、ティアはルークを思い切り抱きしめ返す。
そしてすぐに、胸をしずくが伝っていった。
「に・・・さ・・・。」
その後は言葉が続かなかったようで。
ティアは声は出さなかった。けれど、ぼろぼろと涙が溢れているのが、見なくてもわかった。
「ティア・・・。」
ルークはそれだけ言って、ティアの頭を撫でた。
シーツには皺が広がっていく。
ルークの胸を次々としずくが伝っていく。
哀しみのもののはずなのに、何故かそれらはあたたかい。
そのあたたかさこそが、ティアが今まで、ヴァンに向けていた愛情の表れなのだろうか。
辛かったよな。
そう呟いて、ティアのおでこに軽く口付ける。



師匠、あなたが望んでいたことは、大切なあなたの妹を泣かせることだったんですか――――



栄光を掴む者の栄光は、一体どこにあったのだろう。
自分という存在まで生み出して、彼が掴みたかった栄光は、
本当に彼自身が望んでいたことだったのか。
そうぼんやりと考える。その答えなど、考えたって出はしないけど。
すると、ティアが不思議そうにこちらを見上げて、
泣きながら、ルークの頬にその細い指を当てた。
それは、ぬぐう動作。
「あっ・・?」
そこでルークは、初めて自分も泣いていることに気がついた。
ティアのことを考えていたらヴァンのことにたどり着いた。
優しかった師匠。例え最後には利用する為だったといえど、
あの時の記憶を消すことは出来ない。忘れる気もない。
本当は、自分も失くしたくなんてなかった。
でも失くした。だから悲しくなって、無意識に泣いてしまったのか。
だけど今は自分が泣いているべきではなくて。
「・・・・ありがとう。」
ルークが自分で涙をぬぐい、それを止めようとすると、
涙を流しながら、ティアが微笑んだ。
唐突に謝礼の言葉を述べられて、少し驚くが、その理由はすぐに悟れた。
「・・これでわかったろ、俺だって師匠のために泣けるって。」
そういうと、またティアは柔らかく微笑んだ。
ルークは今度は溢れる涙も流すがままにして、再度ティアをきつく抱きしめた。















そしていつの間にか、うっすらとしたひかりが射し込んで来ていて。


「・・・・・。」
「・・・・・。」
泣き疲れたのか、それとも動きたくないのか、いや両方だろう。
涙のあとを頬に残し、ぼぅっとしたままで、ルークとティアの2人は、閉じゆくセレニアの花のつぼみを見ていた。
ティアは完全にルークに体を預け、ルークはそんなティアの体に軽く手を添えながら。
「・・朝、来ちまったな。」
「・・・・えぇ。」
真夜中に起きて、朝まで何時間泣いたのだろう。
もしかしたら、体中の水分が全部涙になって流れてしまったかもしれない。
「旅のときも結構泣いたもんだけど・・・、俺はいつまで経っても泣き虫だなぁ・・。」
「そうね。」
ぽそり、とルークが呟く。すかさずティアの肯定が入り、ルークは苦笑する。
殺人。アクゼリュス。障気の中和。音素乖離。
どれも胸を引き裂かれるような痛みを伴い、泣き続けたものだった。
――でもどの出来事でも、俺と同じか、それ以上の悲しみで、俺はたくさん人を泣かせたんだろうな。
ぽつりぽつりと語る。
この手を血で真っ赤に染めた、胸を引き裂く痛みは、一生癒えない。癒えてはいけない。
常々そう思うけれども、だからといって、お詫びにと今命を投げ出す気はない。
自殺したところで払いきれるほどの罪じゃないし、
命を投げ出して死ぬことと、罪を背負って生きていくこととでは、前者の方が逃げに当たる。
それに――――帰ってきた時点で、もう彼女を離さないと決めたから。
「・・でも、私も似たようなものだわ。」
ふと思いをめぐらせていると、今度はティアがぽつりともらす。
「そうだったのか?」
その発言にルークは、旅の間も含め、数えるほどしかティアの涙を見たことがなかったので、ちょっと意外に思った。
目を見開いて自分を見るルークに、ティアが微笑んでうなずく。
「小さい頃は、あの街で兄さんにおいていかれるのが嫌で、
 そのたびに泣いて、兄さんによく慰めてもらったわ。
 あの時の譜歌は、よく覚えてる・・・。」
悔しさのようなものがにじみ出る懐かしさに、ティアは微笑みの中にわずかに影を見せる。
「でも、旅の間は泣いてなかったじゃん。」
「泣いていたわ。誰もいないところでは。」
「何だよそれ・・・。」
ルークはため息。強がりな彼女が簡単に人に涙を見せるとは思っていなかったが、
泣いているのだったら、慰めさせてくれればよかったのに。
・・・最も、それが嫌だったのかもしれないが。
くすりとティアが笑って、ルークは軽くティアを睨みつける。
「・・思わず笑ってしまうほど俺は頼りなかったか。」
「まぁ、最初はそれもあったわね。」
ちょっとすねて、否定されるのを期待して言ったつもりが、肯定されてちょっと傷つく。
まぁ、確かに旅の最初の頃は、自分が頼りになっていたとは到底思えないのも事実だが。
「・・・けど、あなたが頼りになるようになってからも、私はあなたの前では泣かなかったわ。
 『泣いてもいい』って言われても、涙を止めることはたやすく出来たのよ。」
ルークはむすっとして、ティアの言葉を聞く。
「・・そのときは、自分で自分の感情をコントールできることにほっとしていたわ。
 けれど、あなたがいなくなってから気づいた。
 私は自分で自分の感情をコントールしていたわけじゃなかった。
 私が涙を止めることが出来たのは、あなたがいてくれていたからだったのよ。」
わずかにうつむき、言葉をつむぐティアから意外な言葉を聞いて、ルークは目を白黒させる。
自分がいるから涙を止められたなんて、どういうことだろう。
嬉しさの反面、疑問がぬぐいきれない。
「いつからだったのかはわからないけど・・・。
 あなたに支えられていたから泣かないでいられたの。
 いつの間にかあなたの優しさに甘えていたみたい。
 うまく、いえないけれど・・・。
 あなたに支えられていた、って言うことは、
 あなたがいなくなってから、それはもう嫌というほどわかったわ。
 あの2年間は、子供みたいに、いきなり泣いたりしたから・・。」
「・・・・。」
ごめん、ありがとう。
そんな2単語が頭をよぎったものの、ルークはそれを口に出さなかった。
ティアがまた微笑んで、ルークを見る。
「でも今回は、一緒に泣いてくれる人がいて、よかったわ。
 改めて、お礼を言わせて。
 いつも私を支えてくれて、ありがとう、ルーク。」
朝日でおぼろげに輝く笑顔。
それを至近距離で見たルークの心臓が跳ね上がったのは当然のことでもあり。
「べっ・・別に・・・、れ、礼言われることじゃねぇって・・。」
胸の動悸は完全に伝わっているに違いない。
別に今更隠す感情でもないのだが、やっぱり恥ずかしい。
顔が真っ赤なのだろうか、ティアがこちらをくすくすと笑っている。こんちくしょう。
「・・まぁ俺も、やっとティアが泣いてくれて、嬉しかったよ。」
「・・・?」
「あっ、いや、泣いて欲しかったとかそういうわけじゃなくて・・。
 でも涙を見せてくれたのが嬉しかったっつーか・・あれ??」
一度深呼吸して、胸の動悸をある程度落ち着かせて、ルークが言った。
ティアが不思議そうな、不満そうな微妙な表情をして、言葉が足りなかったとルークが焦る。
中途半端な考えのところで言葉を吐き出すので、ますますティアの頭は混乱していく。
「・・・ルーク?」
「その・・何つーか、アレだ。そう。
 ただ泣いたんじゃなくて、“俺”の前で泣いて、弱さを見せてくれたのが嬉しかったんだ。
 今までお前、強がってばっかで、全然弱さを見せてくれなかったからさ。」
ティアがルークに話しかけようとした時点で、やっとルークは言葉をまとめた。
ティアの目が丸くなり、わずかに頬が赤らむ。
「旅のときからさ、俺はずっとティアに見てもらってたじゃん?
 だからさ、俺は遠慮なく弱い自分をティアに見せた。
 もんのすごいへたれな姿もいっぱい見せただろ?
 でもお前は涙も弱音も受け止めるばっかりで、俺には吐いてくれないくて。
 ・・だからさ、そういう弱さを見せてくれないのが悲しかったんだよ。
 強がりなのは知ってるけど、俺じゃ支えられないのか、って。
 だから、嬉しかった。」
「・・・・・ルー、ク。」
名前だけを言って、ティアはシーツに顔をうずめてしまった。
優しい笑みを消さぬまま、ルークはティアの頭を撫でた。
「・・遠慮するなよ?これからも。」
幸せも不幸せも、楽しみも悲しみも、何もかも2人で分けていくのだ。
今はそんな立場ではないが、いつか、必ず。
「あ、遠慮すんなっつっても、俺以外の男の前ではやめろよな。
 可愛すぎて何されっかわかんねぇし。」
「・・・ばかっ。」
思いついて、そんなことないとは思うが、一応忠告をしておく。
すると、怒り気味の声で、おなじみの一声。





「・・・・・・あなた以外の前で、こんな情けない姿、見せないわよ・・・。」





ごめんごめん、でも半分本気。
そうとでも言おうとした瞬間に、ぽつりとティアの口から呟かれた言葉。
ぐらり、と何かがルークの中で揺れる。
前は、「見られたくない」って言ったのにな。
その言葉が、2人の関係の進歩の証。
顔をうずめているティアには見えないが、ルークは幸せを口の形で表す。
「ティア。」
こっち向いて、とルークが言い、少ししてから、ためらうようにティアがこちらを見上げる。
刹那、2つの影が、一瞬だけ交錯する姿が、朝日に照らされて、ヴァンの墓に映る。
旅の間では絶対に出来ないような、いや、出来なかった所業を、
彼女の兄の墓の前で堂々とやってのけた。
あんなに妹を大切にしていたヴァンのことだから、もしかしたら怒り狂っているかも。
くっくっと悪戯に笑い出すルークを見て、見る見るうちにティアが顔を赤くして。
「ばか」という言葉が、そこに響いた。





「・・・これからまた寝るか。」
笑いもひとまず静まって、ルークがあくびをしながら言った。
今更ながら目がしばしばしてきた。眠い。
すると、しばらくしてから、そうね、という声が返ってきた。
「あー・・でも今更寝るなら、このまま起き続けてもいいか・・・・・なぁ、ティア?」
惜しみなくこぼれてくるひかりを一度見て、ルークは悪戯に笑い、ぼそりとティアの耳元で呟いた。
一瞬彼女はルークの言葉の意味がわからなかったが、
ルークの手が伸びた先に気がついて、その次の瞬間に顔を真っ赤にして、きっと睨んだ。
「じょーだんだよ。」
可愛すぎる表情だから、睨まれても別に痛くも痒くもない。
むすっとしたままのティアを軽々と抱き上げて、ルークはティアの部屋の中に戻るため歩く。
ドアノブを掴もうとした手が一度止まり、ルークは墓に向き直る。
「・・・・師匠、あなたの妹は、きちんと俺が見てますから。安心してください。」
ずっとヴァンのものだったその居場所。でも、あなたはもういないから。
「あなたのようにはなれなくても、俺は俺らしく、けど精一杯、彼女を支えていきますから。」
今度は自分がその居場所に。
ルークの凛とした言葉を聞き、その表情を見て、ティアも同じようにヴァンの墓を見た。
少ししてから視線をはずし、再度ドアノブに手をかけて中に入る。
シーツを戻して、真っ直ぐにベッドに潜り込む。
2人が入るのには少しきついが、その方が嬉しくもある。
「・・ちゃんと、2人で生きていこうな。」
愛しい彼女を腕に抱きながら、ルークが耳元でそっとささやく。
ティアが頬を染めて、小さくうなずいた。
そして、2人はあっさりと眠りに落ちていった。
風が吹いたのか、セレニアのつぼみが一斉に揺れている。
その中でヴァンの墓が朝日に照らされて、きらり、とわずかに光ったような気がした。










Fin.





* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ミニあとがき * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
ルクティア小説第2弾、いかがだったでしょうか〜。
この前はルーク→ティアのお話でしたが、今回はED後ラブッラブなお2人で
(糖度は低めですが絶対にいちゃこらしてますよ2人/何が言いたいの)
『ルーク』が帰ってきた経緯とか設定は、
元々自分の頭の中で考えていたものをほんのちょっとだけこの作品にも使ったのですが、
そこら辺はまた違う形で書いていきたいですね(そんな時間ありませんけど/涙)

この作品で一番悩んだのはタイトル(汗)
ぎりぎりまで悩んで悩んで悩んだ末でもこんな無味乾燥なものに・・・・・_| ̄|○
もちろん今回の作品にリンクしているタイトルのはずなのに、
タイトルだけ見るとタタル渓谷でルークのために泣くティアに思えますね(苦笑)
もし騙されたと言う方がいたら申し訳ない。でもいっぱいいっぱいでした・・・。

タイトルの話はここまでにして、とりあえず今回書きたかったのはヴァンのこと。
ルーク帰還のED後ルクティアとかエルドラント攻略後ED前のティア→ルークとか
ED直前のルーク→ティア話はよく読むのですが、
その中でもED後でティアとヴァンのことを書いている方は少ないなぁ、と感じ・・。
今回ルークも交えてルクティアでヴァンのお話とさせていただきました。(満足)
ヴァンはあの日ルークとティアが出会うまで、
確かに2人の中で一番で、失くしたくない存在だったのだと思います。
旅をしていくうちに、やがて2人は完全にヴァンと道を違え、またお互いを愛してしまいますけど、
だからってそれまでのヴァンへの思慕とか、そういう思いが消えることはありませんよね。
ヴァンと過ごした思い出も、たとえ流れゆくものだとしても、確かに存在していたものですから。

・・・・何だかヴァン語りになってしまいましたが(苦笑)
まぁ自分ヴァンも大好きなので・・。いくら胡散臭くなっても敵でも愛おしかったですね。
元々この作品はまず「ヴァンのことで傷つくティアを慰めるルーク」を書きたかったのですが。
しかしラブラブには程遠くなってしまったのでせめて裏はラブラブにさせておこうと
(文を読めばわかる方にはわかるかと思います。)

だんだんまとまりがなくなってきたのでここら辺にしておきます。
それではここまで読んでくださってありがとうございました。


06/7/1




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