陽だまりの場所









『陽だまり』


そんな言葉を聞いて
君の心には何が浮かぶだろうか


あの空で私達を照らす、太陽?
自分が愛し、愛されたい、家族?
時間さえも忘れる時間をもたらす、友達?
いるだけで心が満たされるような、場所?


何だっていい 誰だっていい
『陽だまり』という言葉で心に浮かぶのはきっと
あなたにとって
大切な人やものであるはずだから



この話も
ある少女の大切な、『陽だまり』の話――――――・・・・











陽だまりの場所







「ティルーーーっ!!」
とたとたとた、という小さな、けれどどこか軽快な足取り。
ティエルが声の方向を向けば、リ・ティオがぶんぶんと手を振りながら、こちらに走ってきているところだった。
「リオ。どうしたの?」
「あっそぼうよーぅ。」、
リ・ティオはにぱっと笑いながら、ティエルの手を引こうとしている。
彼女の一方の腕には、引きずられたのであろう、土ぼこりだらけのシオンがいる。
まぁこんなことは、別に目新しいことでも何でもない。
このときのリ・ティオは、仮にも年上であるシオンを自分の「家来」のように扱っていたのだ。
心優しいシオンは、それに気づいていても、反抗することはなかったのだが、
それ以来ずっとリ・ティオに振り回されているので、ティエルは少し心配でもあった。
まぁ、そんなことは置いといて。
「今日は何して遊ぶの?」
「えっへへ〜、それはまだ決めてないけど、村の入り口で遊ぼう!
 今日、おとーさん達帰ってくるでしょ?だから!」
終始明るく、リ・ティオが村の入り口の方を指しながらそう言った。
その言葉で、ティエルも明るくなる。
そうだ、今日はキャラバンである、大好きな父親が帰ってくる日なのだ。
「うん、そうしましょう。」
「やった!じゃあイルも呼んでくるねーーーっ♪」
にっこりとティエルはうなずいた。
すると、リ・ティオの笑顔の輝きがさらに増す。
嬉しそうに、シオンを引きずり引きずり、ラ・イルスの家へと向かっていった。
余談だが、この時のリ・ティオは、ラ・イルスのことが好きだった。
その理由は、引っ越してきたばかりのとき、見慣れぬ環境に戸惑っていたリ・ティオを、
ラ・イルスがリードしていたのだという。
その優しさが、幼心にも温かく染み渡ったのだろう。
今現在のリ・ティオを見れば信じられないことかもしれないが、
好きな人には体当たりで向かっていくリ・ティオの様子は、全くもって変わっていない。
今回もそれだ。ラ・イルスと一緒に遊べると思ってワクワクしているに違いない。
ティエルはラ・イルスに体当たりするであろうリ・ティオを頭に思い浮かべて、
あまりにも簡単に想像できるそれに少し微笑んだ後、彼女達の後を追った。



「イーーーールーーーーーーっっ!!」
「い・・イルス〜〜・・・。」
村の中を元気よく駆け回り、錬金術師の家でもあるラ・イルスの家へとつくと、
ベルがない代わりに、とんとんとリ・ティオがドアを叩く。
ただでさえ引きずられてぐったりしているシオンも、
あんたも呼びなさい!とリ・ティオに言われて、
反抗することなく、しかし弱々しい声でラ・イルスの名前を呼んだ。
「聞こえてるよ。あんまり人ん家の前で騒ぐなよ・・。」
「イルっ!あーそーぼー!」
「イルス・・。」
止むことなく2人が名前を呼び続けると、呆れたような面持ちでラ・イルスが出てきた。
しかしそんな言葉も気にせず、リ・ティオはラ・イルスに抱きついた。
セリフやその行動からは、絶えずハートマークが乱舞している。
やっとリ・ティオから解放されたシオンは、ほっとすると共に、
新たな犠牲者になるであろう自分の親友に同情をしていた。
「イル、今日はパパ達が帰って来るんだよっ。
 あたしと一緒にその瞬間を迎えよーよ!」
「リオ、私達の存在を忘れないでね・・。」
「ティル・・あ、ごめんなさーい。」
ラ・イルスがリ・ティオと体を引き離そうとしていると、そこで遅れてティエルが到着した。
リ・ティオはめげず、ラ・イルスに猛烈アタック。
けれどその言葉にやや心配をこめて、ティエルが言う。シオンも苦笑している。
ティエルの存在に気がついたリ・ティオは、ラ・イルスから体を離し、
バツが悪そうに微笑みながら言う。「わかればいいよ」とティエルが答えた。
「あっ・・?声がしますよ、みんな!」
そうしてリ・ティオとティエルが微笑みあっていると、いきなりシオンがそう言った。
彼の言葉には主語が抜けていた上、何の脈絡もなかったが、
それでも全員が「帰ってきたのだ」とわかった。
全員表情を今までよりさらに一段階明るくさせ、外に飛び出していった。
「お父さん!」
「パパ!」
「おお、シオンか!」
「リオ、ただいま!」
村の入り口を見れば、もう既に何人かの村人に囲まれている、大切な親がそこに。
一番早く声が聞こえ、一番最初に駆け出したシオンが、父親であるアリオンに抱きつく。
リ・ティオも、今だけは好きなラ・イルスのことも忘れ、同じく自身の父親であるギラ・ムに抱きつく。
アリオンは嬉しそうに愛息子を見、力強く、その手でシオンの頭を撫でた。
ギラ・ムも、リ・ティオを見つけると、その場にしゃがみこんで、リ・ティオの突進を受け止める。
ミルラのしずくを集めるための、1年のキャラバンの旅を終えた時。
家族が帰ってくるそのときが、一番嬉しい瞬間だとわかるときだ。
シオンもリ・ティオも、嬉しそうに笑って、お互いの父親から決して離れようとしない。
「・・・お帰り、母さん。」
「あぁ、ただいま、イルス。」
後から歩いてきたラ・イルスが、母親であるヌー・ミを見つめ、そう言った。
それに気づいたヌー・ミがにっこりと微笑みながら答えると、ラ・イルスもはにかむように微笑んだ。
誰もが自分の家族、村の大切な友が帰ってきたことを、また、帰ってこれたことを、喜ぶ。
しかし、そんな中で。
「お父さん・・・は?」
先程とは打って変わって、震えたようなティエルの言葉が、小さく響く。
小さな響きだったのに、一瞬で、キャラバンのメンバー、そして大人達の表情が翳った。
「ねぇ、お父さん、どこ?」
シオンやリ・ティオと同じように、走ってここまで来ていたティエル。
その目は大好きな父親――ダニエル――を探しているのに、いまだその姿は映らず。
ただ、周りの大人に問う。けれど、周りは黙るばかり。
「・・・ティル、あのね、お父さんは・・、」
「お父さん、どこ?」
震えたままの声で、ティエルの母、ジュリアが真実を言おうと、ティエルに話しかける。
しかし、そんな声も聞こえているのかいないのか、ティエルは、先程よりも強い口調でそう問うた。
事実など、言われなくても薄々わかっているのか。
ティエルの瞳に涙がたまってゆく。
「お父さん、いない。皆帰ってきたのに、いない。
 ねぇ、お父さん、どこ?」
「・・・ティエル。君のお父さんはね・・、お空に、帰ったんだ。ここではなくて・・。」
そう言うティエルの肩をぽんと軽く叩いて、ローランが、非常に悔しそうに、そしてとても言い辛そうに、それだけ言った。
ジュリアがすすり泣くような声が静かに響く。
「嘘!」
ティエルはローランの言葉を聞いて、ただそう叫んだ。
「お父さん、帰ってくるって言ったんだよ。
 お土産いっぱい持って、あたしのところに帰ってくるって。
 お空に帰ったなんてうそだもん。あたしのところに帰ってくるって、言った!
 そんなの、嘘だよ・・・・!」
「ティエル・・、いい子だから・・。」
「大人ってみんな嘘つきだよ。
 あ、あたしやみんなには『嘘はついちゃだめ』って言うのに、
 自分達は嘘をつくんだもん。
 父さんがいないなんて嘘、つかないでよぉ・・・・っ!!」
うわあっ、とティエルが泣き出した。ローランもほとほと困ってしまっている。
子供に“死”をわからせるのは難しい。しかし、“死”という現実は、隠すことも出来ない。
ジュリアがティエルを慰めようとするが、その手をティエルは振り払った。
「お父さん、お父さん・・・・・!どこ・・っ・・・。」
心の奥まで深々と、突き刺さるような泣き声と叫び声。
何かを言うことも、動くことも出来ずに、ただ涙をこらえている大人達。
そんな中で、シオンとリ・ティオとラ・イルスが動く。
ティエルを慰めるためだろう、ぽんぽんと、シオンとリ・ティオがティエルの頭を撫でるが、
ティエルの涙を見ていると、2人とも「うっ、うっ」と小さく嗚咽して、
しばらくすると、わぁわぁと2人とも大声で泣き始めてしまった。
結果、ラ・イルスが慌てて1人で3人分の頭を撫でていた。








それはティエルが8歳のとき。
彼女の最愛の父親――ダニエル――は、
キャラバン生活の中で、他の仲間を守るため、その尊い命を投げ出したのだった。








それ以来というもの。





「・・・ティル、最近笑わなくなっちゃったね・・。」
「そうですね。ずっと・・あの風車の上に・・。」
浮かない顔でシオンとリ・ティオが話す。
2人の言う通り、最愛の父親を失ったティエルは、笑わなくなった。
それだけではないだろう、怒り顔も泣き顔も、日に日に消えていっているような気がした。
シオンやリ・ティオ、そしてラ・イルスが、何とか彼女を元気付けようと、
パイを焼いてみたり、綺麗な花を摘んできたりするものの、一向に彼女に生気は戻らず。
次第に口数も減り、最近はずっと風車の上にいるのだ。
何時間も風に吹かれ、ただぼぅっと、村からの道の先を見ているのだ。


その姿は、父親の帰りを待っている娘の図。


しかし、その父親がもうこの世にはいないという事実のせいか、
その姿はまるで、村で一番高い場所で、天からの迎えを待っているようにも見えた。
無論、そんなこと願いたくないはないが、生気のないティエルの表情がそう考えさせる。
「・・イルス、何か手はないんですか・・?」
「・・・・・。」
シオンとリ・ティオが、不安と心配に瞳を揺らしている。
隣にいるラ・イルスに問うものの、ラ・イルスは悲痛な表情で、首を横に振るだけだった。
「・・・俺達が今何をしようと無意味だ。」
「イル!」
「あいつが自分で区切りをつけるしかないんだ。
 ・・あいつが自分で立ち直ろうとしなきゃずっとこのままだろうな。」
「・・・あんまりです・・・。ダニエルおじさんが帰ってくればいいのに・・。・・・イルス・・、」
「シオン、心配はしても、馬鹿なことを考えるな。」
「だって、このままじゃ、ティルは・・!」
「俺だって何とかしてやりてぇよ・・・何のためについてるんだ、この頭は・・・。」
ラ・イルスは次々とリ・ティオとシオンの言葉を跳ね返す。
涙が混じってきたリ・ティオの最後の言葉には、
ラ・イルスも悔しそうに拳を握って、震えるように言った。
まだ年端も行かない子供ながら、周りの大人から『天才』の称号を授かった少年ですらこうなのだ。
どうすることも出来ないのだ、と改めて思い知らされて、そのまま3人ともうなだれた。


そんな状態がしばらく続いて。


ある日の夜明け前。
「・・・・。」
ティエルはまた、風車の上で一晩を過ごした。
家に戻るのが嫌なのではない。ただ、この場から離れたくない。
いつか、いつか。ここからずっと見ていれば。
あの笑顔で、父親がひょっこり戻ってくる気がして。
家に戻ろうともせず、あまり食事もとらず、体が痩せ細った気がする。
・・いや、「やつれた」という表現の方がこの場合正しいのだろう。
しかし、ティエルにとってそのようなことは問題ではない。
体には、誰が羽織らせたのか知らないが、暖かな毛布があった。
うっすらと水平線の向こうが明るい。あぁ、朝が近づいているんだ。
そううっすらと思考の隅で思って、ティエルはまた、道を見つめる。
すると。
「・・・?」
村の入り口に、何やら見慣れない人影が見えた。
目をこすってそれを見ようとする。
「・・と」
それは声にならずに、喉の奥で掻き消えた。
待ってた。
そこには、見紛うはずのない、しかし、もう見られないのだと頭の隅で思っていた影があった。
大好きな、父親の姿。
「・・!」
ティエルはふらつく足で、それでも一生懸命、風車を降り、その影を追いかけた。
影は、瘴気の中へと飛び込んでいく。
かろうじてティエルは頭の隅でクリスタルの存在を思い出して、
自分もそこに入るため、また父親が持っていないかも、という思考の元で、
一度家に入り、キャラバンのリーダーだった父親のクリスタルケージを乱暴に持って、出て行った。







そして、朝。



「ティルがいないですって!?」
シオンの言葉が村中にこだまする。
「そうなの・・シオン君・・。」
「あの馬鹿・・!みんなに心配かけて、どこに行ったんだ・・!」
小さなシオンにしがみつくように、ジュリアがすすり泣きそうになるのを抑えて言う。
その横でティエルの兄であるラムゼイが、心底心配して、悲痛に叫ぶ。
夜明け前のティエルの行動を皆知らないから、どこに行ったのか見当もつかない。
「・・外だろうな・・。」
「えぇっ!?」
村中を探し回っていた大人達の中で、アリオンがそうぼそりと呟いた。
「村の中をみんなで探し回ったけど、いねぇんだ。
 おまけにあいつのものだった、クリスタルケージが見つからない。
 どんな理由かは知らないが、外に行ったんだろう。くそ・・!」
下手をすると、ダニエルの後を追うことになってしまうかもしれない・・。
そんな不安が全員の胸に、どろりと流れ込む。
ジュリアの蒼白な顔が、さらに青く染まる。
みんな、不安に足を絡みとられ、ひとところに集まったまま動けない。
「・・・・!」
そんな中、険しい顔をしていたラ・イルスが、弾かれたように自分の家に入り、
また同じようにして家を出て、そのまま外に向かおうと走り出す。
「!おい、どこに行くんだ、イル!」
「・・決まってる、あいつを探しに行くんだ。」
ダン・レーが息子の肩を引っつかみ、一度自分の方に引き寄せて叫ぶ。
しかしそんな父親とは反対に、ラ・イルスは冷静に、一言だけそう言う。
「やめるんだ、イル。探しに行くのは俺達が・・、」
「あいつが自分からこの村を出て外に行ったのなら、たとえ今までのことがあっても何か理由があるはずだよ。
 下手に大人が大人数で探しに行った所で、帰らないと言うかもしれない。
 説得なら俺の得意分野。あいつの足跡だって正確にわかるし、俺が行くよ。」
アリオンがラ・イルスまで行方不明になってはたまらないという思いをこめて、
動揺したまま言うものの、今はラ・イルスの方が何倍も冷静だった。
大人ですら取り乱す事態になっても、まだ落ち着いているラ・イルスの言葉に、
全員驚くと同時に、納得することしか出来なかった。
ダン・レーの手を外し、その手にはいつか彼が見つけたというショートクリスタルを握って。
ラ・イルスは一直線に外に向かっていった。
引き止める言葉すら見つからなかった大人達は、ただ呆然と見ることしかできないことに段々悔しさと焦りを覚えて。
ラ・イルスの言葉に納得はしたものの、やっぱり俺達も・・と準備を始めていた。
「シオン〜〜、イル、大丈夫かなぁ・・・。」
心配なのだろう、シオンの腕をぎゅっと握って、リ・ティオが掻き消えそうな声でそう言った。
「・・・大丈夫ですよ。」
あんなに必死の目をしたイルスに、できないことなんてあるはずがありません。
シオンはそう言って、リ・ティオの頭を撫でた。








その頃のティエルと言えば。
「はぁ・・はっ・・。」
薄い布団を身にまとったまま、未だに走っていた。
もうどれくらい走ったのか、自分でもわからない。
そして今までの自分のせいで、恐ろしいくらい、自分の体力が削られていたことに今更気がついた。
あんなにリ・ティオやシオン達と村中を走り回っていたのに。
そんな体力がない。
けれどティエルはその事実など頭を振って隅に追いやり、ただ前を見据えた。
夜明け前からずっと追いかけていた影。
それはティエルを置いていくことなく、――いや、むしろ自分のために待っていてくれるような気がした――ティエルの前にいる。
息切れなんてしている場合じゃない。
早く早く前へ。
大好きだった、いや、今も大好きな。
父親の腕に抱かれたい。
重いクリスタルケージをしっかりと握りなおし、ティエルはまた一歩、また一歩と足を踏み出す。








ラ・イルスはとん、とんと頭を叩いて、しばらく村の近くを歩いていた。
むやみやたらに走っても、探し人が見つかるはずがないということ、それをラ・イルスは既に理性で知っている。
ティエルを心配する気持ちが爆発して、今すぐ走り出したい気持ちがないわけではない。
しかしそれをあえて抑えて、ラ・イルスは冷静になろうとした。
じっと地面を見る。
キャラバンが通った荷車、パパオパマスの足跡が主な跡だった。
しかしここは辺境の村、不幸中の幸いというべきか、
ティエルのものと思われる、新しい小さな足跡をラ・イルスは見つけることが出来た。
もうひとつ、小さな足跡が他にあって、ラ・イルスは一度考え込む。
が、答えが見つからないので、とりあえず今は置いておいた。
その先を見つめて、ラ・イルスは最悪を想像して、一瞬顔を青ざめさせたが、
その中には、臆することなく入っていった。


そこは、子鬼の住む場所だと言われる、リバーベル街道だった。


「ティー?」
本当は大声を出してティエルを探したいのだが、
そうすると魔物に気がつかれる可能性がある。
そう考えてラ・イルスは声をギリギリの大きさだけ出しながら、辺りを見回していた。
足元も欠かさず見る。小さな足跡が、奥へ奥へと続いていく。
時折、座って休んだのだろう、丸い跡がある。
(体力もないくせに、こんな危険なところの奥へ入っていったのか・・・。
 いやそれだけ、こいつの心を動かす何かがあって、それがきっと移動してるんだろう・・・。
 それをあいつは追いかけて・・・・、今のあいつを動かすものって言ったら・・。)
ちっ、と心の中で舌打ちしながら、ラ・イルスは足跡を追いかけてゆく。
「俺は霊なんて信じてねぇんだけどな・・。」
ため息と一緒に、その言葉を吐き出した。








どのぐらい奥まで入ったんだろうか。
今自分のいる場所が、魔物のいる危険な場所だと言うことは知っている。
外は明るい。もしかしたら親が捜しているかもしれない。
もろもろの思いは、ティエルの中に確かに存在しているものの、
すぐに父親への想いでかき消されてしまう。
「とうさ・・まっ・・・、」
そこで少し咳き込む。
いきなり体力を使ったからか、それとも冷えたのか。
いや、両方だろう。頭がぼーっとする。
それでも、足は止めない。
休む時間すらもったいない。
休んでも、その影は待っていてくれるのだけれど。
でも、そろそろ向こうも止まってほしい。
こちらが追いかけているばかりでは、本当にその隣にたどり着けるのかどうか、とても不安ではないか。
軽い咳をする。
頭を押さえて、ティエルはまた前を見据えた。
自分がどれほど奥に行っているかも知らず、ただ、その影を追いかけて。








ラ・イルスは確かに体よりは頭で勝負するタイプだ。
しかし、ティエルに足の速さで負ける気はしない。
しかも今、ティエルの体力は落ちている。
だから、どれだけティエルとの距離が離れていても、絶対に追いつける。
そうでなければ困る、というのも本音だが。
ティエルの足跡を足で蹴りながら走り、ひたすらにそれをたどってゆく。
ふっと目を回りに移すと、ちらり、何かの影が見えた。
一瞬ティエルではないかとびくりとしたが、足跡の先とは違う。
ざわり、と悪寒が背中を駆け抜けた。
今のティエルがもし魔物に会ったりしたら、助かる可能性は高いとは言えない。
何度も言っているようにティエルの体力は落ちている上に足も速くない。
もしかしたら、逃げる気力すら持ち合わせないかもしれない。
とりあえず悲鳴らしきものは聞こえてないものの、自分が来るとっくの前に、彼女が魔物に襲われていたら・・。
もう一度、今度は強い悪寒が背中どころでなく、全身を駆け抜ける。
焦りと不安に押され、ラ・イルスは無意識に速度を上げた。
「!」
しかしそこで、彼の頭は一瞬真っ白になる。
ずざざっ、という自らが滑りつつ止まる音で今まで自分がどれだけ速度を出していたかわかった。
だが、今考えるべきなのはそんなことではない。
「ちっ・・。」
ラ・イルスはぎっ、と前を見た。
邪魔するな。
ラ・イルスの前には、一匹のゴブリン。
こちらを苛々させるような、甲高い声。
キャッキャと笑うように、ラ・イルスを見つめている。
今こんなものに構っている暇はない。
だからといって倒せる力量も自分にはないことを、ラ・イルスはわかっていた。
だとすれば、方法はひとつ。
ゴブリンの奥にあるティエルの足跡を見て、その向きを覚える。
「ギャアッ!?」
次に、醜い声が響き渡った。
ラ・イルスはとっさにポケットの中に手を突っ込んで、次にゴブリンに掴んだものを投げた。
どれだけ急いでいても、いつも冷静に事を見つめ、何をすべきかはわかっているのがラ・イルスの強みだ。
護身用とはまた別物だが、小さな煙幕を持ってきていたのだ。
自らが作ったものでまだ試作のようなものだったが、成功。
もちろん煙幕などという存在など知らないゴブリンは、
早く煙の中から出ればいいものを、顔を引っかいて、煙をはがそうとしているようだった。
ラ・イルスはそんなゴブリンを軽く蹴飛ばし、先ほど自分が覚えたティエルの足跡をたどっていった。
至極冷静に対処したつもりだが、顔には冷や汗。
(ティー・・・・、)
自分が出会ったことで、さらに不安が膨れ上がる。
(俺が行くまで、無事でいろよ・・!)










「はぁ・・・。」
また小さく咳き込み、ティエルはその場に座り込んだ。
前にいる影をちらりと見る。大丈夫、待ってくれている。
体中がだるい。頭がくらくらする。
でも、帰る気はない。
ぼんやりと、自分が今まで走ってきた道を見た。
10m先以上はもう見えない。
見えたところで、入り口が近くないことはわかっているのだが。
頭の上に、何か白いものがたなびいている。何だろうか。
でも、今は父親のこと以外、考えるのもめんどくさい。
寒気がする。
おかしいな、まだ日は高いし、冷えるような気候ではないのに。
布団を自分の体に巻きつけようと、力を入れるようとするものの、力が入らない。
何とかしようとしたが、一度力が抜け、布団は滑り落ちた。
けれど、もう取るのも面倒くさい。
どうせ、父親の元にたどり着けば、きっと思い切り抱きしめてくれる。
そう思って、ティエルはゆっくりと立ち上がり、また影についていった。
ティエルの動きに合わせて、影もゆっくり動く。
気遣ってくれているのかな、そう思って、ティエルはわずかに微笑む。
そのまましばらく歩いて、少し開けた場所に出て。やっと影が止まった。
たどり着いたのだろう、ティエルの顔が明るくなる。
「父さん!」
嬉しさのにじみ出る言葉なのに、出た言葉はどうも弱々しい。
でもそんなの構わない。
どうして娘をここまで歩かせたのか、という疑問すら出ない。
ティエルは、その影に抱きつこうとした。しかし。
「・・?」
その影を、ティエルは通り抜けた。
踏みとどまることも出来ず、ティエルは転ぶ。クリスタルケージが、落ちる音がした。
顔を上げて、その影を見つめた。
「・・!」


影は、父親なんかじゃなかった。


「う・・そ・・・。」
こちらをあざ笑うかのように、どす黒い色をした、ヘッジホッグパイがきっきっと言う。
そのヘッジホッグパイは、確かに地面に足をつけているのに、透けていて。
自分が今まで必死に追いかけていたのは、こいつの影だったのか。
父親なんかではなかった。その事実に、ティエルは涙をこぼした。
何で気がつかなかったのかなんて、わからない。
村の入り口から風車小屋の最上階までの距離はかなりある。
そこで見間違えたのはまだ納得できる。
けど、あんなに近くに見えていたのに。
周りを見ると、同じようなヘッジホッグパイや、ゴブリン達がいた。
ゴブリンが持つ短剣の光を見て、ぞっとする。
いつもだったらだまされもしない影にだまされて、こんなところに連れ込まれてしまった。
このまま食べられるのだろうか。怖い。





――ああ、でも・・。





それよりも、ある事実が悲しかった。
ずっとずっと風車小屋で、父の帰りを待っていた。
待っても待っても帰ってこなかった。
でも待つことをやめられなかった。
そして、やっと現れたその影を、無我夢中で追いかけた。
でも、それは結局父親ではなかった。
ああ、もう、本当にいないのか。
どれ程待っても、どれ程追いかけても、もう抱きしめてはもらえないのか。
その姿を見ることは出来ないのか。
ティエルはそのまま泣き始めた。
これから襲われようと、抵抗できる力もない。
2つの絶望。


怖いよ・・。


迫ってくる魔物を見て、ティエルはしゃくりあげながら震え上がる。



死んじゃうよ。
助けて。誰か助けて。
怖いよ。怖いよ。


誰か、父さん、父さん・・・



全方向を囲まれていて、逃げられない。
クリスタルケージは瘴気から身を守ってくれても、魔物からは守ってくれない。
今死んだら、父さんに会えるのかな。
そんなことがちらりと頭の隅をよぎる。
でも、それで死んでもいいとは思えなかった。
こんな時でも、いや、こんな時こそ。本能が働くのか。



助けて、父さん・・・!



声にならない声で、ティエルはそうとだけやっと叫んだ。



バァァンッ!!



大きな音と魔物の叫び声にびくっとして、ティエルは顔を上げる。
急に何かを体に巻きつけられた。
「・・・とうさ」
「この馬鹿!!」
涙のこぼれる目で、ティエルはわずかな希望を抱いた。
しかし、希望には違わないが、それは父親ではなかった。
青がかった灰色の髪と、エメラルドの瞳。
ラ・イルス。
ティエルは、やっと認識した。
ラ・イルスは、ポケットから何か出して、魔物にぶつけた。
また大きな音がして、その後にバチバチ・・と音が続く。
魔物の叫び声が聞こえる。けれど、今度はずっと遠く。
「爆竹を持ってきて正解だったな・・・。」
ああ、さっきのもそれだったのか。
ティエルはぼんやりと考えて、魔物の声の先を見るラ・イルスの横顔を見る。
すると、急にきっと自分の方を見てきた。
「お前・・どんだけ皆が心配してたのか、わかってたのか!!」
ラ・イルスに至近距離で叫ばれて、ティエルは思わず耳鳴りがした。
でも、すごく懐かしい感じがした。
人が近くにいる、この感じ。
「ジュリアおばさんもラムゼイさんもシオンもリオも村長も・・・、
 みんなみんな、お前がいなくなってものすごく心配してたんだぞ!
 いなくなったからだけじゃない、お前がおじさんを亡くしてからずっとだ!」
「い・・る・・・。」
力ない声で、ティエルはやっとそうだけ答えた。
「・・・おじさんを亡くして、お前が沈んで、ダニエルさんに会いたい気持ちもわかるよ。
 どういう経緯でお前が村を出たかはわからないけど、
 あのヘッジホッグパイかなんかを、ダニエルさんと間違えて、追いかけてきたんだろ。
 あいつは闇属性でな、『ホーリー』みたいな魔法でしか実体化しない。
 霊かなんかと間違えやすいんだ。特に、お前みたいな、誰かを亡くしてすぐの人間はな。」
ラ・イルスはクリスタルケージを手繰り寄せながら、そう話す。
その後に、うつむいていたティエルの顔を、自分の手で上げさせた。
「・・でもな、ティー。
 あのな、もう、おじさんはいないんだ。
 お前がどれほどおじさんに会いたくたって、もう会えないんだよ。
 おじさんは死んだ。
 もうこの世にはいないんだよ・・・。」
そんなこと、わかってた。
どこか、頭の隅では。
でも、それを心は受け入れてくれなかったのだ。
現実を拒否していたから、ここまで弱ったのだし、あのヘッジホッグパイを追いかけたのだろう。
「・・・・・けど、お前は生きてる。
 おじさんは死んだけど、お前は生きてる。
 お前にはまだ未来がある。おじさんだって、こんなことでティエルが死んでたら、怒ってただろ。
 おじさんはお前らの未来を守るために、自分の命を使ったんだ。
 お前がここで死んでいたら、おじさんは犬死だったんだよ。
 ・・・だから、もう自分自身を見失うな。心を閉ざすな。
 ジュリアおばさんもラムゼイさんもシオンもリオも村長も、村のみんなも、もちろん俺も。
 お前に笑って欲しかったんだよ。
 みんなお前と一緒に生きたいんだ。
 だから、こんな風に・・・もう・・・出て行ったりするなよ・・・。」
この人の、こんな弱々しい声を、自分は今まで聞いたことがあったろうか。
いつだって冷静で、子供のくせに大人すぎて、弱音も涙も見せないで、ただただ凛としている彼が。
ラ・イルスの表情は、彼がうつむいていたせいで、見えることはなかった。
けれど、自分の肩をつかむ手が震えている。
その時に、やっとティエルは自分の愚かさを知った。
ラ・イルスの言葉とその手を見るだけで、彼の心配の度合いがわかった。
すると、泣きそうになりながらも自分を支えようと頑張ってくれた母や兄達の姿を思い出す。
家族だけじゃない。
何か力になれることはないかと、シオンは紅茶を入れてくれた。
リ・ティオやその親は、そのままじゃ冷えるよ、と布団をかけてくれた。
シオンの親はできたてのパンを持ってきて、
ラ・イルスの親は目の前で面白そうな実験を繰り返していて、
村長たちが優しく言葉をかけてくれて。
すべて自分が心の中で拒絶したその風景が蘇る。



・・・自分の世界は、父親だけで出来ているのではなかったんだ・・・・。



それをやっと思い出した。
「・・・いる・・・・。」
名前を呼んで、力の入らない手で、ラ・イルスの手に触れようとした。
しかしその前に、目の前にいるラ・イルスの腕が自分を包み込んだ。
「・・・・・。」
ラ・イルスは何も言わない。
ティエルもしばらく何が起こったのかわからず、呆然としていたが、
やがて今の状態を理解すると、ラ・イルスの背中に腕を回した。
あたたかい。
そんな言葉が、頭に浮かんだ。
このぬくもりは、大好きだった自分の父親のものではない。
けれど、すごくあたたかい。
「いるぅ・・・。」
「・・何。」
ティエルの瞳からは、涙。
涙と共に零れ落ちる言葉。ラ・イルスはそれを聞いて、優しく問う。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・っ。」
「・・うん。」
ぼろぼろと涙を流しながら、ティエルはラ・イルスの肩に顔をうずめて言う。
ラ・イルスが背中を軽く叩きながら、またも優しく返してくれた。
その後もティエルは謝り続ける。
でも違う、言いたいのはこんなことじゃないでしょう?
他に言いたいことはたくさんあるのに。
心配してくれて、探しに来てくれて、助けてくれて、思い出させてくれて、抱きしめてくれて。



「いる・・・ありがとう・・・。」



謝罪の言葉よりも、思ったより小さくなってしまった、本当に言いたい言葉は。
「・・・・あぁ。」
ちゃんと、ラ・イルスの耳に届いた。







しばらくして。




「あッ・・・。」
リ・ティオの、安堵と嬉しさの混じった驚きの声が小さく響く。
腕をつかまれていたシオンも、ゆっくりと微笑んだ。
脇にいたジュリアとラムゼイが駆け寄る。
後ろには、彼曰く「来るなって言ったのに。しかも何もしてないし」と皮肉を言われた大人達を連れて。


「・・俺の言った通りだったろ?ちゃんと連れ帰ってきたぞ。」


ラ・イルスが村に戻ってきた。
腕には、きちんとティエルの姿。
それを見て、村の全員の者がティエルの帰りを喜んだ。そしてラ・イルスには賞賛を。
でも聞いたラ・イルスは苦笑い。それでも。











彼の腕の中のティエルは、この前までの悲しみに満ちたものでなく。
ちょっと微笑んでいて、本当に安心しきった表情で眠っていた。














この出来事がきっかけで、彼女がラ・イルスに好意を持つようになるのは、そう遠くはない話。





















〜Fin.〜









* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ミニあとがき * * * * * * * * * * * * * * * * * *
おおおお久しぶりのFFCCーーーーーーーー!!(何故か感動)
途中まではかなり書くのにつまってたんですけどねっはははははは

中盤からはもうそれまでの不調が嘘のようにががーーっと進みました。
何なんだ自分。自分のことなのにさっぱり訳がわかりません。
でもとりあえずこうしてここにお披露目することができてよかったです・・!

さて、今回のお話はうるろんだったのですが。
最初は普通にキャラバンとして旅してるときのお話にしようかなと思ってたんですが。
中間と最後のネタしかなくて諦めたんです。
小説は書き始めが肝心(だと自分は思ってます)であり、
また小説の中で(私的に)一番書きづらい場所なので、
ここが出てないとそこで終わっちゃうんですよ。なので幼少話に変えました。
お話の中心は
「ティエルを救うラ・イルス」です
ティエルのラ・イルスに対する恋のきっかけを書きたかったんです。
「きっかけ」なので厳密に言うとこのお話は「うるろん」にはならないかもしれませんが(汗)

ラ・イルスのティエルへの思いが恋心に変わるまでは、
ティエルが自分の想いを「恋心」だと認めるまでの時間の
かかると思います(超前途多難)

それにしてもずいぶんとラ・イルス達が大人になりすぎましたね・・。
幼少ものは書いて(というか想像すると)ものすごく楽しいのですが、
話し方とか考え方とかが想像できないです・・。
自分も確かに体験したのに、すっごく書き辛かったです。
そこら辺が一番の不満やも。

このお話を書くのははっきりいって最初はかなり辛かったですが(書けなくて・・涙)
それでも書き上げられてよかったです。
最終的には楽しかったですしね!


それではここまで読んでくださった方、ありがとうございました。


06/6/17




お世話になりました
空に咲く花/なつる様



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