落花流水の情 |
「ガーネット女王陛下、こちらが大公殿下より預かった書物にございます。
どうか目をお通しくださいませ」
護衛のスタイナーとベアトリクスが控えた厳かな空間の中。
玉座の前で跪く青年から、ガーネットに書類が手渡される。
「はい、確かに」
その書類の表紙に見慣れたシド大公の印があるのを確認し、ガーネットは笑顔で頷いた。
彼女の動きを逐一見つめていた青年は、その笑顔に緊張から解放されたのか、ほっと一息つく。
片膝を立てた状態から立ち上がると、
「…ってゆーことでオレここにいるからさ、夜は空けといてくれよ!」
一瞬ののちに態度を崩し、打って変わってくだけた口調と、歳相応の笑顔になる。
これがガーネットと近しい人物でなければ、不敬罪としてもいいくらいだろう。
「ジタン殿、せめて城の外に出てから口調を変えて頂きたいのですが…」
ベアトリクスが呆れたように青年――ジタン――に苦言を呈すが、彼はそれを全くと言っていいほど気にしなかった。
「ジタン、この後はどうするの?」
ジタンと同じようにベアトリクスの言葉を気にしていないガーネットは、玉座から彼に一歩近づく。
恋人に嬉しそうに歩み寄る、その可愛らしい姿に目を細めながら、そうだなぁ…とジタンが呟く。
「復興の手伝いとかルビィの小劇場に行くとかかな…。
あそこなら飛び込みで演技やってもいいし、見てるのもいい。
他にも、井戸端会議に加わったり…。ああ、酒場で飲むのもいいな。
ま、何にしろ夕食まではぶらぶらしてるつもりだよ」
「井戸端会議にまで加わってるの?」
話を頷きながら聞いていたガーネットだが、想像しておかしかったのかくすくす笑いを漏らす。
「主婦の情報網を舐めちゃいけないぜ、ダガー。
情報の基本は酒場、って言うけど、それすら凌ぐくらいの情報量を共有し合ってることもあるんだからな。
何かしたらあっという間に広まるんだぜ」
対するジタンには真面目に返されてしまったため、笑いをおさめ「そうなの?」と聞き返す。
「ん。人から人にどんどん伝わって行くからな。
オレにとっていいことは、街中でのオレの評価がストレートに聞けるところかな」
「へぇ…。酒場の話は何度か聞いたことがあるけど、それは初めてだわ。
…それにしても、いつの間にそんな会話にも加われるほど、わたしの国民と仲良くなったの?」
興味深そうにジタンの話を聞いていたガーネットだが、
自分はほとんど触れ合う機会の無い国民と話をしているジタンが羨ましいのか、軽く頬を膨らませる。
「確かに最初は普通に小劇場とか酒場にいるだけだったんだけど、そこでみんなの話を聞いたりしているうちに覚えられちゃったらしくてさ。
最近は道端を歩いてたら気さくに話しかけられて、結果的にありがたい話に加われてるってわけ。
まぁほら、オレってしっぽがあるからわかりやすいし、有名人だし、何より美男子だし?」
からからと笑いながら答えていたジタンは、最後に茶目っ気を含ませてウィンクをする。はいはい、とガーネットは流した。
こういうやり取りは二人の中では日常茶飯事なので、お互いそれ以上気にすることもない。
「まぁそんなこんなでかなりの数の人と話して、情報も持ってると思うよ。
雑談とか無茶な願いとか個人的な相談も多いんだけど、それを聞くのも結構楽しいもんだぜ」
「そうなの」
にぱっ、と笑うジタンから、その言葉が嘘だとは感じられなかった。
アレクサンドリア国民がジタンと仲がいいのは、歓迎こそすれ、拒否するようなことは何もない。
笑うジタンにつられたのもあって、ガーネットも笑う。
ぱん、と手を軽く叩いて、このお話はもうおしまい、とジタンが締めた。
「ま、そんな話についてにはまた今度。聞きたかったらいつでも聞いてくれ。
それで?何時くらいには空けられそうなの?いつも通り部屋まで迎えに行くよ」
うきうきする気持ちを抑えられないのか、目をらんらんと輝かせながらガーネットに少しだけ迫る。
ジタンについているしっぽが犬の尻尾であったなら、きっと左右にぶんぶんと大きく振られているのだろう。
「ジタン!貴様また窓から侵入するつもりか!」
ガーネットが何かを言い出す前に、スタイナーが憤りから腕を大きく振って会話に割り込む。
ジタンとガーネット、恋人同士である二人としての会話は邪魔しないでいたものの、
己が任務に忠実である彼にとって、目の前でその任務を破ろうとする言葉が出れば、さすがに口をはさみたくもなる。
「正面から堂々と入って、何もなくダガーに会わせてもらえるならそうするぜ」
が、そんな彼の憤りをジタンは鼻で笑うようにした。
「ジタン殿なら、そこまでのチェックもなく入城できると思うのですが?」
「それがめんどくさいって言ってるの。問題はオレが入るだけじゃないぜ。
その後ダガーを連れて外に出なきゃいけないんだから」
「窓から侵入するだけでなく、姫様を危険な夜に外に出すなどと!」
「おっさん…。野宿までしたことがあるお姫様に今更だよ、そんなこと。
隣にオレがいるんだしへーきだってば。
てゆーか、まだ“お姫様”呼びが治ってないんだな」
「そ、それは今関係ない話である!」
「そうですよ、ジタン殿」
指摘されて顔を赤くするスタイナーの傍で、静観していたベアトリクスも会話に入ってくる。
「貴方様が行おうとすることは間違いなく罪となります。
いくら貴方様とガーネット様が恋人なれど、そのような行為、露見すれば評判の低下にもつながりましょう。
私もスタイナーも、不法侵入した者を見かければ追い出さねばなりませぬし、それが行われると知れば警備を厳重にせねばなりません」
「止められるんならやってみな。ベアトリクスとスタイナー二人がかりでこられたって、ダガーを連れて逃げるだけならたやすいぜ」
「もう!いい加減にしなさい!」
何やら軽い言い合いとなってきたので――不穏な空気が流れてるという訳ではなく、むしろ一人は楽しんでいるようだが――、ガーネットの一喝が入った。
案の定、ぴたりと三人の声が止まる。
「二人とも、ジタンだけを責めるのはやめて。
もとはと言えば、わたしが鍵を開けるからジタンは入って来られるのだし、
わたしが外に出たいと言うからお城から出てもいけるのよ。責めるならわたしもだわ」
まずガーネットはジタンをかばうように前に出る。
二人は同時にですが、と言いかけたが、ガーネットにそのままじっと見つめられれば、それも飲み込むしかない。
ジタンがほらな、とでも言うように肩をすくめて勝ち誇ったように笑う。
「ジタン、貴方もあまり二人をおちょくらないで。
二人やその部下たちは、いつも私の安全の確保のために神経を張りつめさせながら頑張ってくれてるんだから、そんな言い方は失礼だわ」
しかし、直後に振り向いたガーネットに自分も責められ、面喰らったように「そんなつもりじゃ…」ともごもごと言葉を濁していた。
「あと、ジタン、ごめんね。わたし、今日は夜中まで仕事があるの。
せっかく迎えに来てくれてもきっと行けないわ」
「えええっ!?」
さらなる追撃を受け、ジタンが落胆を込めて叫ぶ。
「本当にごめんなさい。今日は貴方の要件を終えてから、つまり今ね。
この時間が少し空いているだけなのよ。明日なら大丈夫なんだけど…いつ帰るの?」
「なんだ、それなら問題ないよ!」
申し訳なさそうなガーネットの言葉に「あー」とか「うー」などと呻いていただけだったのが、急に明るくなる。
「言ってなかったか?オレの出発は明後日の朝なんだ。
一日だけだけどゆっくりしていきなさいってヒルダ様が言ってくれたんだ。
ダガーがだめだったらアジトにでも行こうかな、と思ったんだけど…
ヒルダ様に感謝しないといけないな。それじゃ、明日の夜な!」
落ち込んでいたのが反面、またうきうきと跳ね始めたジタンを見ながら、ガーネットはあることを思い出す。
「……そう言えばベアトリクス、明日はそこまで仕事がないわよね?」
「そうですね…。このあと夜の会議や先程手渡されたものの書類仕事ぐらいかと」
ふとガーネットが言ったことにも瞬時にベアトリクスは反応して、頭に入っているのだろう予定を言う。
「それって、明日のお昼ぐらいまでに全部詰められないかしら?」
「え?それってきついんじゃないの?」
「不可能ではございませんが…日程的にはかなりきついものになるかと」
「でも、できるはできるのね?」
「ちょ、おい、無理だけはするなって。ただでさえ無理するんだからさぁ」
「けど…少しでも時間が伸ばせるなら、その方がいいじゃない」
ベアトリクスに進み出るようにしたガーネットを、慌ててジタンが止める。
「そうですね、ガーネット様の体調を考えればやめた方が賢明かと」
「ほら、なっ?」
ベアトリクスにもそう告げられてしまった。無理だけはして欲しくないのはジタンもベアトリクスも同じなのだろう。
ジタンがガーネットを見ると、若干しょぼくれかけていた。
「ですが、それはガーネット様が一人でご公務をなされた時の話」
「え?」
俯きかけていた頭が、ベアトリクスの続く言葉を聞いて上がっていく。
「私めが助けに回れば、無理なくできるでしょう。お手伝いいたします」
「でもそしたら、ベアトリクスが大変なんじゃないの?」
「いくつかは他の者にしてもらうことが増えるでしょうが、大きな影響が出るものも今はございません。
私自身の負担は変わりませぬ。
…ただし、明後日の早朝からガーネット様はご公務がありますし、ジタン殿も出発するでしょう。
ですから、夜になる前には帰ってきてくださいませ。これならスタイナー、貴方もいいですね?」
「うむ。不法侵入でも夜遅く外にいるのでもないのなら、止める理由は自分にもありませぬ」
「ベアトリクス…スタイナー…」
自分たちの為に手伝いをしてくれるとわかって、感謝か嬉しさからか、ガーネットが思わずそう漏らす。
スタイナーがガーネットに敬礼をし、ベアトリクスは彼女に微笑んだ。
「堅いかと思ってたけど、そういうこともしてくれるんだな!ありがとーベアトリクス!」
「!?」
が、次の瞬間、飛びつかれるようにしてぎゅっとジタンに抱きしめられる。
突然の上慣れていないベアトリクスは思わず手を剣のつかにやるが、ガーネットのことを考えて慌てて離す。
ちょっとむくれるガーネットがジタンの肩越しに見えて、ますます平静を失う。
「ジーーーターーーンーーーー!きっ、きき、貴様と言うやつはあぁ!!」
「うおおっ!?」
一瞬だけ静寂にも似た空間となった場を、スタイナーの怒声と剣が切り裂く。
剣筋は間違いなく一瞬前までジタンのいた場所を通っていて、今度はジタンが叫んだ。
「あっっぶねーな!!真面目に殺されるかと思ったぞ!」
「ひ…ではなく、ガーネット様の目の前でベアトリクスに抱きついておいて何を言うか!」
今回ばかりは憤っているスタイナーの方が正しい。その証拠に、ジタンもはっとしている。
当の本人であるベアトリクスは、驚きで早まった鼓動を抑えるのに精いっぱいで、何も言えてない。
「…わ、悪かったな、ベアトリクス。狙ったとかじゃないんだ、つい…」
ようやく自分がやったことを認識したのか、戸惑いながらもジタンが謝罪の言葉を述べる。
ベアトリクスも驚いただけなので、そこまで怒る気はなかったのだが。
「つい、で誰かに抱きつく人なのね…ジタンは」
そこで冷たい声が聞こえて、磁石に引きつけられたように三人の首がそちらを向く。
見ればガーネットはすっかり機嫌を損ねてしまったらしく、ジタンからそっぽを向いていた。
「ごめん!いや、その…嬉しかったんだって!
だっていつぶり?夜ちょっとだけとかじゃないんだぜ?
しかも夜に連れ去ろうとしたら包囲するぞ、みたいに言ってたベアトリクスが、
自分が頑張ってまでお膳立てしてくれるって言うんだぜ?
感動ものじゃん!…ああもうごめん、オレが悪かったってば!」
焦っているせいで無意味に腕を動かしながら、ジタンが必死に弁明をしている。
だがガーネットのじとっとした視線は戻らず、だんだんと追い詰められ、最後には謝るのみとなってしまった。
「ごめんってば〜」
頭をぺこぺこ下げながら許しを請うジタンに、それ見たことかスタイナーがふんぞりかえっている。
次第にしっぽがしょんぼりとうなだれ始めたのを視界の端にとらえて、ようやくガーネットは視線をジタンに戻す。
「………当日はがんばって欲しいものだわ」
「え?」
「だからっ、会う日はわたしをこんな気分にさせないで、楽しませて欲しいということよ」
恥ずかしくなったのか、最後の方はまたジタンからそっぽを向いていた
しかし、それでもジタンは顔を輝かせる。
「うん、がんばる!」
「調子に乗らないの!」
がばっとガーネットに抱きつくが、すぐに彼女の平手で頬をはたかれるのだった。
その後はジタンが城を出ていくまで、終始当てつけられるだけとなった二人が、揃って息を吐いた。
さて約束の日。お昼どきは少し過ぎてしまったものの、何とか仕事を終わらせたガーネットは。
「うーーーーん…」
鏡の前でうなっていた。
「ねぇベアトリクス、これでいいと思う?」
助言を求めて振り向き、声をかける先はもちろんベアトリクスである。
「はい。変装として完璧かと」
「そうじゃなくて」
冷静にずれた回答をするベアトリクスに、ぷぅ、と軽く頬を膨らます様子が愛らしい。
「…これで、か、かわいいって言ってもらえると思う?」
ひざほどの丈のスカートをつまみながら、左右に動かして吟味する。
変装も兼ねて庶民に合わせた服装をしている訳だが、慣れていないガーネットにはいまいちよくわからない。
もしジタンに「似合わない」とか「可愛くない」とでも言われようものなら…。
ガーネットはそこまで考えて、ぶんぶんと強くかぶりを振った。
そんなガーネットの様子を見ながら、悩む必要もないのでは…、とベアトリクスは思う。
「洒落っ気のない私が言っても説得力はないかもしれませんが…ジタン殿は誉めて下さると思いますよ。大変よくお似合いです」
彼女はガーネットやスタイナーほどジタンを深く知っている訳ではなかったが、
ガーネットを否定するようなことはしないだろう、と言う確信に近い思いがあった。
「ベアトリクス、意外とわかってないのね。
貴方はスタイナーと私的に会うときに、侍女や部下に同じようなことを聞いてたって、わたし知ってるんだから」
どうやら、ベアトリクスの言葉を麗しの女王はお気に召さなかったらしい。
思わぬ攻撃に、ベアトリクスは思いっきり赤面する。
「ど、どこでそれを…」
「それは教える訳にはいかないわ。今度から聞けなくなっちゃうもの」
彼女には珍しいいたずらっぽい笑顔。どもりながら、ベアトリクスはその笑顔に既視感を抱いた。
誰だ。どこで見た?そうだ、彼の表情にそっくりだ。
長年連れ添う人間に人は似てくると言う話は聞いたことがあるが、
よりによって陛下に悪影響を、とベアトリクスは恥ずかしさの中ほぼ八つ当たりの怒りを心中でぶつける。
「あ!」
だがそれも、ガーネットの叫びにも近い声でかき消される。
「もう行かなきゃ…!」
視線の先は時計。ああ、とベアトリクスは理解した。
ガーネットのすべての準備が大体終わりそうな時間は、スタイナーからジタンに伝わっているはず。
もうジタンは待ち合わせ場所にいるかもしれない、とガーネットは更に慌てているのだ。
「…迷ってても仕方ないわ。もう行くしかないし。付き合ってくれてありがとう、ベアトリクス!」
こんなこと、お礼を言われるまでもありません。という丁寧なベアトリクスの言葉はもう届かない。
迷いを(無理やりではあるが)断ち切ったガーネットはもう部屋を出ていて、その足は異様に早かった。
まさに恋をする乙女を垣間見たベアトリクスは、何とも温かい気持ちになる。
「いってらっしゃいませ」
たとえ本人に聞こえなくとも、そう言わずにはいられなかった。
猛ダッシュで走って行ったガーネットはと言うと、「もっと舟を早く漕いで!」と彼女らしからぬ無茶な注文をしながら、
ようやく船着き場へと降り立ったところだった。
ジタンとの待ち合わせ場所は広場である。走ればすぐの場所だ。
「あ」
きょろきょろとあたりを見回すと、ゆらゆらと揺れているしっぽが見える。こういうときは本当に便利だと思う。
「…」
しかし直後、彼の姿を見て、ガーネットは一瞬だけ思考を停止させる。
てっきりいつも通りの格好で来ると思っていが、今日の彼は少々めかしこんでいた。
それが恐ろしく決まっていて、アレクサンドリアの背景とともに絵になっている。
いつも彼がおどけて言う「美男子」の文字も、今では納得できる代物だ。
当の本人は鼻歌でも歌っているのか、どこかご機嫌そうな雰囲気が漂う。
(やっぱり自分の方が遅くなってしまった)
(怒っているようには見られないけど、早く行って遅れたことを謝らなくちゃ)
そう心に浮かんだが、何故だか足が進まない。
どくどくと心臓が早鐘を打ち始める。
この服は似合っていると言ってもらえるだろうか。
あの決まったジタンの隣にふさわしいと思ってもらえるだろうか。
不安によって早まる鼓動が、進もうとするガーネットの足と裏腹で、実にもどかしかった。
「ダガー!」
その内に、ジタンの視線がこちらに向いて。
ひときわ胸が高鳴った後に、声を発する間もなくあっという間にジタンがこちらに走り寄る。
「来てたんなら言ってくれればいいのに。もしかして先に来て待ってたとか?」
「い、いえ、わたし、遅れて」
「今来た?ならよかった」
楽しさを隠さない様子のジタンに、まだ混乱から抜けきっていないガーネットは片言だけを返す。
挙動不審になってしまっているガーネットに一瞬だけ「?」と疑問の表情を浮かべたが、
俯き始めたガーネットの姿と、自分の姿を見比べてすべてを理解した。
「ダガーの格好、いいな」
耳元でささやけば、ぶつかるのではないかと思うほど急に頭を上げたガーネットと目が合う。
「これなら女王様だって誰にもばれないよ。フツウの女の子だ」
ついで言葉を発すると、ガーネットはまた顔をうつむけた。
言葉が不本意だったのだろうが、ジタンとしては予想通り、反応が見たかったが故の意地悪である。
「それに、すごくかわいい」
今度は耳まで真っ赤になったのを見て、ジタンはひとり満足げにした。
「参ったな〜、ダガーがこんなに可愛いと、オレが本当にこの服で良かったかどうか」
「いえ!それはすごくいいと思うわ!」
ついでおどけると、ジタンの予想以上にガーネットが勢いよく反応する。
「惚れ直した?」
思わず自分の方が照れそうになるのを誤魔化すため、ウィンクをする。
うっ、とガーネットが詰まり、次いで「ばか」と言われる。
「そりゃよかった。せっかくお昼から会えるんだし、
ダガーも可愛くするんだったらオレもカッコよくしようと思ったんだけど、まさかそこまで言ってもらえるとは」
「わ、わたしは惚れ直したなんて言って…!」
「ダガーが照れてることなんてお見通しってことだよ〜」
軽く腕を振って抗議しているとはいえ、顔を真っ赤にさせていれば答えがどちらなのかは歴然としている。
ガーネットの頭を撫でながら、ジタンは自分の頬が緩むのを隠せなかった。
「ま、ここでずっと突っ立ってるのもなんだし、行こっか。ダガーは何が食べたい?」
あのねぇ、とガーネットが言葉を紡ぐ前に、ほぼ強制的に彼が手を取り、二人で歩きだすのだった。
なんやかんや言い合いをしていてもしょうがないので、とりあえずジタンのおすすめを教えて、と言って連れて来られた先。
料理を頼んだまではよかった。いざ食べようとなった時、ガーネットはまたも固まっていた。
「はい、あーん」
語尾にハートマークがつく勢いで、嬉しそうにしているジタン。
彼が持つフォークにはパスタが巻き付けられていて、それがガーネットにまっすぐ向けられている。
「え…えーっと…」
周りを見回せば、お昼時を過ぎたとはいえもちろん人が大勢いる。
その全員がこちらを見ていると言う訳ではない。だが、確実に“人前”ではある訳で、どうしても羞恥心が頭をもたげる。
「ジタン…わたし、それは…」
「はい、あーん」
しかし、そんなガーネットなどお構いなしなのか、無言の圧力とばかりにフォークが突きだされる。
まったく引く気配のないジタンと数秒だけ視線の応酬を交わしたが、とうとうガーネットは根負けした。
「あ…、あーん……」
意を決して食べたはいいものの、羞恥心で顔は赤くなるわジタンの方は見れないわで正直困っていた。
感情の処理に必死なせいで、肝心な料理の味だってわからない。
目をそらしていても楽しんでいるジタンを感じて、憎らしくさえなる。
自然に落ちていった目線の先に入った、自分のホットサンドをほぼ衝動的にひっつかむ。
「はい」
「え?」
「わたしがやったんだから、ジタンもするべきでしょ」
顔を未だ赤くしたまま、ジタンの方にホットサンドを突きだす。
笑顔から驚きにジタンの顔が彩られ、少し気が済んだ気分になる。
自分と同じ気持ちを味わえばいい、とガーネットは思っていた。
「じゃあ遠慮なく」
が、それも一瞬だった。ガーネットの思いと裏腹に、あっさりとジタンはホットサンドにかぶりついていた。
「………」
手をひっこめるのも忘れ、あっけにとられるガーネットに、ジタンは咀嚼をしながら余裕綽々の笑みを返していた。
「な、なんでそんなあっさりできるの!?」
「オレは大衆の視線なんて慣れてるから」
ようやく目の前で起こった出来事を飲み込んだ後、ガーネットは猛然と抗議し始める。
そんなガーネットに対し、ジタンは冷たいまでの飄々とした返しをしていた。
「けど、少しぐらい恥ずかしがっても…!」
「ダガーがあんなに盛大に恥ずかしがってくれた後じゃあね〜。いやいや、何にしてもごちそうさまでした」
「ええ〜〜〜」
そんなのずるい、不公平!と文句を言うガーネットに、ジタンは笑いをこらえきれなかった。
先程の「あーん」よりはるかに、騒ぐ今の方が目立っていることに、ガーネットが気付いていないのは、いいのか、悪いのか。
「ん?」
少々騒がしくなった食事も終盤に差し掛かったところで、ジタンが何かを感じて足元を見る。
どうしたの?とガーネットが言う前に、「にゃー」という声が聞こえた。
「…猫?」
テーブルの下をのぞけば、いつの間にか一匹の猫がジタンの足にすりついている。
「ありゃー、ミャウ。お前またいなくなったのか」
「ミャウ?ミャウって前にも…」
「そ。トムん家の猫だよ。よくいなくなって『ミャウがどこかに行っちゃったよう』ってべそかきそうになってるんだよな。
ビビも探したことがあるって言ってたよ」
最後のパスタを飲み込んだ後、ジタンはミャウを膝まで抱き上げる。
のどをくすぐると、ご機嫌にごろごろと喉を鳴らした。
「なついているのね」
「まぁ結構触れ合いがあったしな。オレにしっぽがあるから、仲間意識もあるのかも」
「サルか猫かわからないしっぽでもいいのかしら…」
「ダガーからサル呼ばわりは傷つくんだけどー?」
くすくすとガーネットが笑う。ジタンも笑ったが、また猫に視線を戻す。
「トムが探してるだろうから、届けようと思うんだけど。いいか?」
「ええ」
「ありがと。じゃあ出発するか」
ガーネットも最後のホットサンドを飲み込む。それを見た後に、ジタンは猫を抱いたまま立ち上がった。
二人が歩く中、ジタンの腕はずっと抱えられたミャウに独占されていて、
なんだかちょっと悔しい気がしたのは、ガーネットだけの秘め事である。
「おぉい、トムー!」
「ジタン!……ミャウ!」
尖塔前の住宅地に入ったところで、小さな男の子が駆け寄ってくる。
ジタンから猫を受け取った彼は笑顔を見せた。
「ありがとう!」
「気にするな。ちょうど見つけたもんだったからさ」
ジタンに頭を撫でられながら、飼い猫を抱いて笑うトムを、ガーネットは和やかな気持ちで見つめる。
ふとその目がこちらに向いたかと思えば、そのままじっと見つめられる。
もしかしてばれてしまっているのでは…、とガーネットは少しだけたじろいだ。
「きれいな人だね!」
「だろ?」
「でもいけないんだ。ジタンはガーネット様とけっこんするんでしょ?他の女の人といるなんて〜」
「そのガーネット女王様だ。何も問題ないぜ」
トムの視線が外れてほっとしたかと思えば、あまりのあっさりさにツッコミすら入れられなかった。
慌ててジタンの方に顔を向けるが、ジタンはウィンクをするのみ。
言われたトムはきょとんとしていて、弁明をしようとしたガーネットだったが、
「まさか!こんなところに女王様が来るはずないよ!」
それを笑い一つで吹き飛ばしてしまった。ガーネットから力が抜ける。
「信じてくれないのか、ひどいなぁ」
「だってガーネット様はいっつもドレス着てて、周りに人がいっぱいいるじゃない。
やっぱりジタンはいけないんだ。みんなに言っちゃうからー」
えへへ、といたずらに笑いながら、「行こう、ミャウ!」と言い残し、トムはそのまま走って行ってしまった。
「ばか、なんであそこで言っちゃうのよ!」
彼が見えなくなった後、ガーネットはジタンに詰め寄る。
「そーんなに心配しなくても。むしろ、あそこはああ言って正しかったんだよ」
「でも!」
もし女王陛下が街を歩いているなんてばれてしまったなら、あっという間に大騒ぎになってしまう。
そしたらジタンと歩いているどころではないのだ。
ベアトリクスが頑張ってまで作ってくれた時間を台無しにする気なのか。ガーネットは少しだけ怒っていた。
「わかった、わかった!じゃあオレを守ったと思ってくれ」
「…守る?」
詰め寄るガーネットの迫力に負けたか、ジタンがなだめに入る。
でも、その言葉がどうして出てきたのか、ガーネットにはわからない。
「仕事ならともかく、オレが知らない女の子と仲良さげにデートしてるなんて知られたら、オレの株が大暴落だよ。
さんざんダガーが好きだ結婚したいってやってるのにさ。
昨日も言ったろ?トムが数人に言っただけでも、たぶんあっという間に広まっちゃうから。
子供はともかく、大人は黒髪黒目の女の子がオレと歩いてて、
そのオレはガーネット女王様といるんだって言ってたって聞いたら、たぶん事情を察してくれると思うんだよね」
「うーん…」
とりあえず言い分は分かった。けれども、ガーネットはまだ納得できない。
「でも本当にわたしが女王だってわかって、人が集まったりしないかしら…」
「人の恋路を邪魔する奴はチョコボに蹴られて死んじまえってね。
事情を察せるなら邪魔しないだろうさ。
…それに、そんなことさせないよ」
最後の言葉と同時にガーネットの腕を引き、歩きだす。
「な、なに?なに?」
急に引っ張られたガーネットが慌てて歩みをジタンに合わせる。
「邪魔されたくないなら、邪魔できない場所に行けばいいのさ。
この先小舟があるんだ。舟から見るアレクサンドリア城は絶景って話だぞ。行こう」
そして、その場から数十メートルもない、すぐ近くの小さな岬へ向かう。
ジタンとすでに親しいのか、ジタンが少し話しただけで、持ち主は舟を貸してくれた。
舟に乗り込む際、さっそくじっと見つめられ、握手を求められ(長時間の握手はジタンが止めた)、拝むようにされたガーネットは苦笑する。
やっぱり、ばれない方がいいんじゃないかしら、と。
もっともジタンが言うには、あんだけ大声出してたら、そりゃあのやりとりは聞こえてただろ。
情報以前の問題だ、とのことで、ジタンを責める訳にも行かなくなってしまっていたのが、また複雑なところだった。
食事の時とは違い、ぎっ、ぎっとジタンが舟を漕ぐ音と、さざなみだけが音を支配する静かな空間。
風が気持ちいいのもあって、落ち着いた気分になる。
「…なんか、なつかしいな」
しばらくは二人とも無言だったが、小休止に手を止めたジタンが呟く。
「なつかしい?」
「ほら、マダイン・サリで乗ったろ。
あのときはロマンチックにはなりきれなかったけど…っと」
そんなことより大事なものを思い出しちゃったしな、とジタンが苦笑する。
「…でも、あのときのジタンの話は、よく覚えてるわ」
「ん?何だったっけ」
「覚えてないの?」
頬をふくらませるダガーに慌ててジタンは記憶を探る。
「……ああ!イプセンの話?」
「そう、それよ」
「イプセンなぁ…。ちっさい頃は、あの冒険記だけが心のよりどころだったな」
それきり言葉を打ち切ってしまったジタンに、焦れたガーネットは続きを促した。
「…どういうこと?」
「イプセンは冒険家。彼が実在していたのは誰もが知っていることだけど、
イプセンが見つけたもの、オレ達が入ったイプセンの古城とかな。その存在は正直世間には信じられてなかったんだよね。
人間って自分の目で、耳で、確かめられないと、簡単には信じられないからさ。
イプセンの冒険記にしか出ない話は、冒険の間気が触れたりしたんだろうとか、酷いこと言われてたもんさ」
「そんな…」
「でもだからこそ、青い光を探したかったオレには夢のある話だったよ。
タンタラスの公演でも行ったことのない国が、まだこの世界にはある。
そこにはオレと同じ仲間とか、両親がいるかもしれない。
…結局イプセンの冒険記にオレの記憶と同じ場所はなかったけど、その時は希望が持てたって感じ」
別世界だったんだから、冒険記にすら無いのは当たり前だったけどな、と付け加えてジタンはひとりで笑う。
「イプセンの話はほとんど全部覚えてる。そらで言える話も結構ある。
あのときはカッコつけに使わせてもらったけど、オレはそういう意味でもイプセンには世話になりっぱなしだったかな」
そこでジタンが再度話を打ち切ると、何だかしんみりとした空気が漂う。
ガーネットはなんと言葉を発すべきか迷っているうちに、ジタンがまた一つ笑った。
「なんかしんみりしちゃったか。大事なデート中にこれはよくないな」
「そんなことないわ。恋人である以上、どんなものもふたりで共有するものなのではないの?
今の話になんて言ったらいいかはわからなかったけど…
でも、少なくとも、ジタンの、ジタン自身の話を、わたしはもっと聞きたいわ」
ぶんぶんと首を横に振りながら、ガーネットは強く否定する。
それでも言葉を返さないのが気になってジタンを見ると、ぽかんと口を開けていて、ガーネットは首を傾げる。
「…わたし、何かおかしいことを言ったかしら?」
「い、いや。そうじゃないよ。ただ、ダガーってたまにドキッとするようなことを言うよなぁって」
「驚かせちゃった?それはごめんなさい」
妙に焦っているジタンにますます首を傾げながら、とりあえずガーネットは謝る。
「…この流れでそっちに行くダガーは斜め上だな」
すると今度は、半ばあきれたような顔をする。だが、ガーネットには意味がわからない。
「?どういうことだったの?」
「ドキッとするって、そうだな、ちゅーしたくなるようなトキメキの方。
オレの話を聞きたい、オレと同じものを持ちたい、なんてそんなストレートに言うからさ」
落ち着かないジタンの動きとともに、ようやく意味を理解する。
急激に恥ずかしさがこみあげてきて、その後は、もじもじとしながら「そ、そう」としか呟くことができず。
「…まじめにちゅーしたいかも」
「い、いきなり何を言うのよ!」
調子の戻ったジタンに詰め寄られかける。
舟が揺らぎ、ほぼ反射的に体を抱けば、「その反応傷つくぅ」と口を尖らせられた。
元の場所に戻ったジタンにとりあえず安心すると、ガーネットは見覚えのある光景があるのに気がついた。
「そうだジタン、あっちの方へ舟を漕いでもらえないかしら」
「ん?いいけど…なにかあるのか?」
「お母さまのお墓があるの。……いい?」
「なるほど。大丈夫だよ、あっちだな」
ぎっ、とひと漕ぎで向きを変え、そちらの方向へと向かう。
ガーネットが指差した方向に向かって少し漕ぐと、すぐに特徴的なバラで出来たアーチが見えた。
桟橋に舟を乗り付け、二人ともそこで降りる。
「こんな行き方は初めてだわ」
ありがとう、とジタンにお礼を言って、ガーネットは階段を上って行く。
湖から運ばれる少し湿った風と、それに合わせてバラ同士がささやく音。
白い階段を上り、墓の前に座りこんだガーネットの姿が、何ともいえない芸術だ、とジタンは桟橋でぼんやり考える。
「ジタンは来ないの?」
しばらくはその前にただ座り込んでいたガーネットが、ふとジタンの方を振り返る。
「んー…。元とはいえ、盗賊が許可もなく入っていいもんかねぇ」
「わたしが髪を切ったときは入ってたじゃない」
「あのときオレはダガーしか見えてなかったし」
さらっと言い放つジタンに、ガーネットが真っ赤になる。
「と、とにかく入ってきたら?」
動揺を隠しながらも――バレバレなのが可愛いとジタンは一人のろけている――、ガーネットが提案するので、とりあえずその隣に並ぶ。
「……」
バラのリースが供えられたブラネ女王の墓。
ガーネットにとっては愛する母親の墓、思うところもいろいろあるだろうが、ジタンには彼女ほど思うこともない。
「…なんでそんな顔してるんだ?」
半ば興味を失いガーネットの方を見てみると、どこか心配そうな顔をした彼女と目が合う。
「…いえ…、ジタンは、お母さまにどんなことを思うかなと考えて…そしたら…」
「まぁ、いい印象は抱いてないな」
ガーネットが詰まったような声を出した。
「でも、印象が最悪だったからな。
ダガーは殺そうとするわフライヤの故郷を滅ぼすわオレが一番大切なリンドブルムを攻撃するわで…
そういうのに恨みがないって言ったらウソになるけど…。
なんつーか…もういまさら何を言ってもしょうがないし、何より自分が死んじゃうっていう報いも受けてるからな」
撫でようとしたのか、ジタンの手が墓に伸びて、触れる前に握られる。
「…わたし、旅の間は、お母さまのことで頭がいっぱいで、
ジタンやビビ、フライヤ達がお母さまを、お母さまのしたことをどう思ってたのか、考えたこともなかった…」
きっと、みんな傷ついていたはずなのに。
うつむくガーネットの頭をそっと撫でる。
「でも、ブラネをそそのかしたのはクジャだろ?あいつが裏で引いていたから、あの戦争は起こったんだ」
「けど…」
「ブラネのせいだけじゃない。けど、ブラネが悪くないってわけでもない。
たくさんの人が犠牲になったけど、それを二度と繰り返さないために、今君がここにいるんだろう?」
ジタンの言葉にガーネットは深くうなずいた。俯いていた顔が上がる。
少々暗くなっていた表情は、また柔らかな笑みが戻っていて。
「…お母さまはお父さまを失って、クジャに会った後から、すこしずつおかしくなってしまったけど…
でも、その前に貴方に会えたのなら、あなたを気に入ってくれたと思うの」
「そうかなぁ?」
「ええ。絶対気に入ってくれたわ」
ふんわりと笑うガーネットに断言され、どこか照れくさい気持ちで、ジタンは頭を掻く。
「…まぁ、みんなに、特にダガーに会わせてくれたことは感謝しなくちゃな」
恥ずかしさからか、さまよわせていた視線がブラネの墓で止まる。
少しだけ前に進み出たジタンは、手を合わせ、目を閉じた。
(…ありがとう)
照れているときの言葉しか聞けなかったが、今は冥福を祈ってくれているのだろう。
(ね?お母さま。素敵な人でしょう?)
ガーネットはまた微笑み、自分も手を合わせ目を閉じて、ブラネにそう話しかけた。
決して短くない祈りのあと、ガーネットは目を開けてゆっくりと振り返る。
目に入る光がやけに眩しくて、思わず目を細めた。
「…綺麗な夕陽だな」
ジタンの呟きも飲み込まれていくようだ。
沈みかけた真っ赤な夕陽は、水面に反射してきらきらと輝く。
とても美しい光景だったが、今まさに鳴り始めた鐘の音と同じく、そろそろ日が暮れることを示していた。
ベアトリクスは夜になるまでには帰ってきて欲しいと言っていた。もうそこまで時間はない。
「…時間は早いものだわ」
会えない日の一日と、会える日の一日の長さはどうしてこれほどまでに違うのか。
もっともっと一緒にやりたいことも、行きたいところもあるのに、もうすぐこの時間は終わってしまう。
「帰りたくない?」
ぼそりと呟いたきり黙ったガーネットに、ジタンは優しく問いかける。
「ダガーが望むなら、オレは今からダガーをさらうことができるよ。
どこへでも連れてってあげる。好きなだけずっとオレが傍にいるよ」
言葉だけでなく、その言い方まですべてが優しく、ガーネットはそれに流されたい気分になる。
「…ま、そうもいかないよな。明日早いんじゃ寝ないといけないし」
だが、ガーネットが言葉にする前に、ジタンは自分自身でそれを否定した。
帰ろう。
差し伸べられた手を握って、彼についていくしかできなかった。
「ベアトリクスー」
日がちょうど沈みきったころで、アレクサンドリア城に戻ってくる。
ガーネットの手を引いてジタンが城に呼びかけると、すぐに呼ばれた人物が出てきた。
彼女の後ろにはスタイナーも控えていて、こちらに敬礼をしている。
「約束を守っていただけたのですね」
「あ、疑ってたわけ?オレ達の為に今回頑張ってくれた人の気持ちを蔑ろにするのも、胸が痛むからやめたのに」
「それがなければさらっていたのですか…」
やれやれ、とため息をつくベアトリクスは、気を取り直してガーネットの方へ顔を向ける。
「…ともかく、ジタン殿、送っていただき感謝いたします。
ガーネット様、お帰りなさいませ。湯のみと食事の用意はできておりますよ」
「それじゃダガー、オレはとりあえずここで」
ベアトリクスの言葉を受けて、ジタンがつないでいた手を離そうとする。
しかし、ジタンが手を離しても、ガーネットはジタンの手を握ったままだった。
「…ダガー?」
怪訝そうにガーネットを見つめ、ジタンは気が付いていないのかと軽く手を振るが、逆にぎゅっと手を握られた。
「…ガーネット様?」
ベアトリクスもガーネットの顔を覗き込む。視線がガーネットと交わる。
「あのね、ベアトリクス。ジタンはどうせ夜も来るわ」
「ええ、そうでしょうね。ですが、例えガーネット様の命でも。追い出すなと言うのは無理ですよ」
視線があった瞬間、はじかれたようにガーネットがベアトリクスに話しかける。
ある程度予想していたのか、ベアトリクスは特に驚きもなく言葉を返していた。
「うん、わかってるわ。だから、ジタンをここに泊めたいんだけど」
「えっ?」
言われたベアトリクスよりも、側にいたジタンの方が驚きの表情を浮かべている。
やっぱりか、というようにベアトリクスはひとつ小さく息をついていた。
「…それならまぁ…問題ないでしょう。では客室を一つ用意して…」
「いいわ。どうせ使わないと思うから。…わ、わたしの部屋に泊まればいいもの」
ビシッ。
空間がフリーズしたのか石化したのか。どちらにしろ止まった。
さすがにベアトリクスもここまでは予想できず、ひそかに頭を抱え始める。
そんな中、当の本人はいっぱいいっぱいだったのか、その空気を読みとることも出来ず、ただもじもじと体をせわしなく動かすのみ。
「だ、だめ?」
誰も言葉を発しないので、おずおずと上目づかいで懇願しはじめる。
「い、いやー…ダガー。確かにいつもオレは君の部屋に行くけどさ、さすがにベアトリクス公認ってのは無理じゃあないかなぁ…」
いち早く石化の解けたジタンが、どこかぎこちなくガーネットに言う。
しかし、ガーネットは頬を膨らませた。
「どうして?」
「いやどうしてって言われても…」
なぁ?と何とも言い難いジタンは、ベアトリクスに助けを求めた。ベアトリクスは頭を押さえている。
「…?とりあえず今日だけでもいいから…」
理解できなかったやり取りを無視して、だんだんと声を小さくしながら、もう一度懇願する。
ベアトリクスは頭が痛かった。後ろで「だめに決まっております!」とスタイナーががしゃがしゃ跳ねているのもうるさい。
もし、このセリフを喋っているのがジタンだったのなら、スタイナーとともに言語同断だと言えただろう。
だが今その言葉を発しているのは間違いなくガーネットであり、斬り捨てることはしづらかった。
よく見るとすでにジタンは手どころか腕をつかまれている。
まだぎりぎり考える脳は残っているのか、彼自身はなんとも言えぬ複雑な表情をしている。
止めるのも進むのもどちらも受け入れるのであろう。だからこそベアトリクスに選択を投げたのか、早くしてくれとでも言わんばかりだ。
「…今夜だけですよ」
「べ、ベアトリクス!?」
「うん!ありがとう、ベアトリクス!」
いつも無理ばかりさせて、“女の子”としてふるまえないガーネットをこのまま引き裂くのも、あまりにもかわいそうで。
ベアトリクスは折れるしかなかった。スタイナーが驚きの声を上げているが、説得すればわかってもらえるだろう。
子供のように喜び、ジタンの腕を引いて歩いてゆくガーネットを見るのに、頭は痛くなっても心は痛くならない。
結局、ガーネットには冷淡になりきれないところがベアトリクスにはある訳で。
「間違いは認めませんよ、ジタン殿」
「わかったってー」
だから、そのベアトリクスが最後に出来ることと言えば、ジタンに忠告をするのみだった。
「よかった、ベアトリクスに分かってもらえて。しかも結構あっさりで」
昨日のジタンとは対照的に、今度はガーネットがうきうきとしていた。
やっていること自体は普段とそこまで変わりがないのだが、ベアトリクスが了承したというのが大きいのだろう。
ジタンがふかふかとした極上のベッドに座ると、少しだけ間隔をあけてその隣にガーネットが座る。
「…しっかしダガーがあんな風にベアトリクスに言うなんて、珍しいな」
嬉しいものは嬉しいに決まっているのだが、ガーネットの行動がジタンには意外だったのだ。
「だって…ジタンのそばにいたくて。
こうやって会えること自体が久しぶりだったし、話もしたけど…やっぱり時間が足りないし…」
顔を赤くしながらそう言われて、落ちない男がいるものか。
ジタンはクッションを叩きつけながら悶えたいところだったが、怪しまれるのでやめておく。
「…ジタンはだめだったの?」
「いや!ああ言ってくれてすっげー嬉しかったよ」
間隔をつめながら(その際ダガーが逃げないよう肩を抱いて)ジタンが頬を緩ませる。
あれだけ積極的に行動を起こしておきながら、こんな時は一瞬で身体を強張らせるガーネットに、ジタンは内心苦笑した。
先程はベアトリクスに止められても仕方ないと思っていたし、こういう思いは押さえこんでいたのだが、
ガーネットが頑張ってくれた上許しももらえたのなら、ジタンも今は喜ぶのみだ。
「こうやって一晩中ダガーにくっつく許可ももらった訳だしさ」
「ち、ちょっとジタン!おも…」
そのままガーネットにのしかかるようによりかかる。
倒れこむようなことはなかったものの、ガーネットはどうしたらいいものかわからず、ただあたふたと手を動かすのみだった。
「ジタン、わたし、そういうことがしたくてこうしたんじゃ…」
「まーまーいーじゃん誰もいないんだしさー」
そんなガーネットの混乱もすべて理解して、彼女の身体を抱きすくめる。
「だーがーあ」
甘えた声色がガーネットの耳元でささやかれる。
しびれるような感覚が流れるが、ガーネットは行き場のない手をたださまよわせる。
ジタンは何も言わなくても夜一人でここに来ただろうに、ベアトリクスを説得してまでジタンを泊めることにしたのは自分だ。
“そういうこと”を意識したにしろしないにしろ、ジタンがそういう行動に出たのなら、ガーネットにも非はあるのだろう。
「じ、ジタン…!」
だがそこまで進んだら、少々過保護なベアトリクスとスタイナーは、まず突入してくることだろう。
ジタンが自分の部屋に泊まるのを容認してくれたとはいえ、ガーネットの伴侶でもないジタンに監視一つ付けないということもあり得ない。
だからガーネットはジタンを止めようと肩をつかんだものの、どうしても本気で拒否ができないでいた。
決して嫌な訳ではない。嫌であるはずもない。
覆い被さっているので、ジタンの表情ももうわからない。肩あたりに手が伸びて、ガーネットが思わず目を閉じる。
「…ぅ、く」
ジタンの手が触れたと思えば。
「……っ、あはははは!」
その場でガーネットは笑い転げた。
「じ、ジタ、や、やめっ……あはははは」
こちょこちょと脇をくすぐられ、先ほどとは少しばかり理由の違う拒否をしながらも、力が入らない。
ジタン自身もくすぐりながら笑っていた。
「…ふ、あ…もう…」
ジタンの手が届かないところまで逃げたガーネットは、息を整える。
「そーんな構えるなよ。ベアトリクスにもおっさんにも散々言われてるし、立場もそれなりにはわきまえてるつもりなんだから」
ダガーがよほど仕掛けてきたらわかんないけどな、とジタンはぺろりと舌を出す。
ほっとしたような、少し残念なような。抱きしめられていた時の体温が抜けていくのを感じながら、ガーネットは複雑になる。
「…しかしまぁ、何を期待したのか。ダガーのえっちー」
「…じ、ジタンにだけは言われたくないセリフだわ!」
「へぇ?」
言ったな、と言わんばかりのジタンが意地悪い笑顔を浮かべる。
逃げようと考えた時には既に遅く、再びジタンにくすぐられ、またもガーネットは悶絶するはめになった。
「わ、わたしばかり不公平だわ…」
ひぃひぃ言い始めたところでようやく解放され、半ば涙目になりながらジタンを睨みつけるようにする。
「だったらやり返してみたら?…言っちゃ悪いけど、ダガーに捕まるオレじゃないね」
「言ったわね!絶対やってやるんだから!」
「じゃあ、お手並み拝見だ!」
息をだいたい整えたガーネットが起き上がるのと、ジタンがベッドから勢いよく飛び退くのがほぼ同時だった。
狭い空間と言っても、寝室としては広い部屋の中を走り回る――ジタンに至っては家具を飛び回る有様である――小さな逃走劇だったが、
ジタンがガーネットに捕らえられる頃には、二人とも笑いが止まらずにいた。
「そりゃいけないこともたくさんしたいけどねぇ。
ま、楽しいことはそれだけじゃないし、その楽しみは未来にとっておくさ」
「……ん」
ベッドに寝転びながら、ジタンの優しい笑みにガーネットは安堵する。
頭を撫でられているのが気持ちよくて、瞳を閉じる。
ジタンに抱きしめられていると、彼のにおいでいっぱいになりそうになる。
他人にとっては分からないけれども、ガーネットにとっては幸せのあかしだった。
「…仕事しないで、一日ジタンといたいな…」
思わずそんな言葉を漏らすと、ジタンの目が一瞬驚きに支配された。
アレクサンドリアの仕事に対し熱心で一途なガーネットから、そんな言葉が出るとは思わなかった。
嬉しさの半面、今日はどうしたんだろう、と思ってしまう。
「…そうだなぁ。たまには一日とか…贅沢言えば数日自由な時間が欲しいよな」
しかし、内容にはジタンもおおむね同意である。
ガーネットは女王、ジタンはシド大公の部下である今は、ほとんど叶いそうにない願いではあるけれども。
「時間は早いわ」
「早いなぁ」
二人、外で歩く時間はとても短かった。
たとえ夜こうして会えていても、この時間も決して長くはなく、過ぎ去ればあまりにも短い時間だ。
せめてものわがままに、ガーネットはぎゅう、とジタンを抱きしめる腕に力を込める。
「今度はもっと長い休暇をもぎ取ってくるよ。シドのおっさんは人使い荒いけど、ヒルダ様には弱いからな」
「うん…。予定が決まったら知らせて。わたしもその日は空けられるように頑張るから」
「楽しみにしてる。でも、頼むから無理だけはするなよ?」
心配そうに眉根を寄せたジタンに、わかってるわ、と小さくうなずきを返す。
「それじゃあ今日はもうご飯食べて風呂入って寝る?明日早いんだろ?」
「んー…」
ジタンの腕がまた強く握られる。まだいい、と言うことだろう。
「…しかし恥ずかしがったり受け入れたり忙しいな、ダガーは」
「なっ、なによ」
自分に甘えるガーネットが愛しくてしょうがない。
だからこそジタンはガーネットをまたからかった。案の定赤くなっている。
「いや、かわいいなぁって」
かあ、とさらに顔を赤くするガーネットを見ていたら我慢できなくなりそうで。
ジタンはせめてもの欲望の逃げ道として、瞳を閉じてキスをすることでそれを遮断した。
一方のガーネットはたたみかけるようにいろいろとされて、また平静が保てなくなりつつある。
溶けて真っ白になりそうな視界の中で、ジタンの姿だけをよく見ようとする。
一瞬だけのキスはあまりにも短くて、ガーネットは今度は自分から唇を重ねた。
「…まぁ、これくらいならバチは当たんないだろ」
「ふふ、そうね」
二人で微笑みあった後は、また強くお互いを抱きしめる。
もう食事も湯のみも、眠気すらも邪魔なだけ。
すぐにやってくる朝から逃れるように、今だけの時間を惜しんで、二人はずっとそうしていた。
〜終わり〜
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * ミニあとがき * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
書きたい場面も数多くありましたが苦行も多い作品でした…
タイトルもいつも以上に思いつかなくて故事に逃げましたorz
男女が慕い合う気持ちを言う言葉らしいです。
流れに散り落ちる花は水に浮かんで流れたいと思い、
流れる水は散り落ちる花を浮かべて流れたいと思う心を持っている、との意だそうです。
(出典:新明解国語辞典)とても素敵な言葉ですね。
「ジタンとダガーがとにかくいちゃついている小説が書きたい!」と言う思いのままに書いていたのですが、
いつの間にかシリアスっぽくなったり裏に走りそうになったり。あ、あれー?;;
一番書きたかったのはダガー爆弾発言→周囲石化(またはフリーズ)のあの場所です。
ダガーはたまにとんでもないデレ爆弾を落とすと思います。
本当は一日デートさせたいんですけれど、
どうもこうも文章量が多い私が一日なんてやるととんでもない長さになりそうで困りますorz
今回も流れる時間の割に出来事一つ一つは短いです。もう少しさっさっと次に移るべきか。
いやでも書いているうちに思いましたがやっぱりジタガネは可愛いです。
知ってたけど再確認です。二人とも可愛い。
書いていて自分で恥ずかしくて「うわあああああ」とかなっていたのですが、
これを読んだ読者様にニヤニヤでもうわあああでも感じていただけたら嬉しいです。
それではここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
10/10/4
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